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東京を目指す旅 ~この坂を越えて~(平成29年3月4~10日)

2日目(平成29.3.6) 1/7ページ「秋田の朝」

本日の行程

移動手段乗車(移動開始)出発時刻下車(到着地点)到着時刻車両
秋田内陸線普通201D比立内5:21角館6:20AN8805(単行)
田沢湖線普通821M角館6:28大曲6:51クハ700-5004(2両編成・1両目)
奥羽本線快速3427M大曲7:11秋田7:54サハ701-3(3両編成・2両目)
特急いなほ8号秋田9:15鶴岡11:06モハE653-1015(7両編成・5号車)
庄内交通 41系統エスモール11:40随神門12:20頃-
徒歩随神門13:00頃羽黒山頂14:05頃-
庄内交通 42系統羽黒山頂14:20頃いでは文化記念館前14:35頃-
庄内交通 42系統いでは文化記念館前16:05頃南銀座16:30頃-
庄内交通 73系統南銀座16:33頃湯田川温泉16:52頃-
庄内交通 71系統湯田川温泉18:26エスモール18:50頃-
羽越本線普通835D鶴岡20:15余目20:32キハ47 519(2両編成・1両目)
快速最上川3131D余目21:05酒田21:16キハ111 220(2両編成・1両目)

比立内を発つ

3月6日、午前5時すぎ。すでに宿を発つ準備をすませていたボクは、宿のご主人と合流すべく玄関前で待機していました。

旅ではいつもそうしていますが、寝る前には歯ブラシと翌日着る服を枕元に置いておきます。朝起きた直後の準備をラクにすることで、連日の早朝出発が可能になります。

ほどなくご主人がいらっしゃいました。こんな早朝(というか夜明け前)にもかかわらず、駅まで車で送ってくださることになっていました。前夜に宿を出発する時間を伝えた際、朝が早すぎるので送迎は頼まないつもりでいましたが、ご主人のご厚意で送っていただけることになりました。もう感謝感謝です。

何度も頭を下げつつ、ご主人とともに宿を出ます。

駅までは車ですぐ。前夜のうちに、駅まで歩くことを念頭に目印を覚えておいたのですが、宿から駅へ、という方向の場合はほとんどまっすぐ歩けばオーケーの分かりやすい道でした。でも不安は不安だったので、送迎は助かりました。


列車が来る数分前に、比立内駅に到着。ご主人に見送られながら、駅舎を通ってホームへ。

ここからは、列車を乗り継いで、とりあえずは秋田駅を目指します。その先も移動が続きますが、まずは秋田で一区切りです。

湿った雪が降る中で、列車までの短い時間を過ごします。1面2線の交換駅である比立内駅は、夜明け前の暗い空の下、ホームの電灯と雪明かりに照らされていました。

ほどなく、暗闇の向こうから煌々とヘッドライトを灯した列車が入ってきました。車両はまたしても観光仕様のAN8805号でした。代わり映えはしませんが、犬っこ列車・おひな様列車を堪能できるので、良しとしましょう。ただ、ワンデーオーナーの表示はなくなっていました。

整理券を取って乗り込みます。昨日のきっぷの有効期限は1日なので、ここからは普通に運賃を払う必要があるのです。

5時21分、発車。この乗車時刻は、ボクの人生で2番目に早いです。

まずはこの列車の終点である角館まで、1時間くらいの移動です。

ゲニウス(北) 早起き自慢(平成29.3.14現在)
順位列車名乗車駅発車時刻乗車日参照ページ
1仙石線普通531Sあおば通5:12平成27.2.12「東北リベンジ」2日目
2秋田内陸線普通201D比立内5:21平成29.3.6本ページ
3東北本線普通1522M盛岡5:25平成27.2.13「東北リベンジ」3日目

車内はボクと運転手しかいません。もちろんアテンダントもいません。つまり、この列車は始発の阿仁合から比立内までは運転手一人しかいなかったと思われます。

まあ、これは予想の範囲内。むしろ阿仁から角館への越境通勤(通学)がある方が驚きです。

ともかく、車窓に目を移すとします。暗くてほとんど分からないのですが、車窓には渓谷の風景が流れます。

この比立内から松葉にかけては非常に風光明媚な区間で、できれば日中に通過して車窓を楽しみたかったところですが、日程の都合で早朝の通過となりました。

松葉駅のあたりまで来ると、空もそれなりに明るくなってきました。景色の面でもしばらくぶりに集落という感じの風景となり、そろそろ角館に向かう流動がありそうな辺りです。

しかし松葉は乗車ゼロ。旧国鉄角館線の終着駅ということで比較的利用が多そうだから、誰か乗ってくるかと推測していましたが、外れました。

その次の羽後長戸呂でようやく乗客があり、貸し切り状態が解消されました。

いかにも秋田、という感じの農村を走り抜け、その途中で少しばかりの乗客を拾い、列車は角館駅のホームに到着しました。

結局、角館到着時の乗客は自分を除いて4名。通学時間を外しているとはいえ、貴重な朝の列車でこれは厳しい……。内陸線の明日はどっちだ。

ともあれ、駅に降り立ちます。角館は(JRはもとより内陸線も)有人駅なので、駅員に整理券と運賃を渡します。阿仁マタギ、比立内と無人駅の利用が続いていたせいもあって、間違って運転手に運賃を払おうとしたのは内緒。

駅舎で硬券入場券を買い(本旅行記「車掌室」コーナーにて公開中)、JRの駅に移動します。

途中下車印の旅のはじまり

角館からは再びJRで移動です。使うきっぷは、事前に札幌駅で買っておきました。

ふつうの乗車券(ただし学割)ですが、ふつうじゃありません。では一体どんなきっぷかと申しますと……

まず区間が、「角館 → 今市」。今市は栃木県のJR日光線の駅です。

で、こっちが問題。きっぷに記載の経由路線が、「田沢湖線・奥羽・羽越・陸西・奥羽・仙山・東北・日光線」。路線の数がやたら多いし、なんか奥羽本線が2回出てきてますね。

これだけを見て経由地点がパッと浮かぶ人が当サイトのお客様の大半かとは存じますが、改めてまとめると次のようなきっぷとなります。

  • 角館→(田沢湖線)→大曲
  • 大曲→(奥羽本線)→秋田
  • 秋田→(羽越本線)→余目
  • 余目→(陸羽西線)→新庄
  • 新庄→(奥羽本線)→羽前千歳
  • 羽前千歳→(仙山線)→仙台
  • 仙台→(東北本線)→宇都宮
  • 宇都宮→(日光線)→今市

5県・7路線をまたぐ、運賃計算キロにして実に628.8kmの、しかもパッと見で経由がわかりづらいきっぷを、これから使うわけです。まあこの程度では「まだまだ青いな」とか言われそうですが、ボクが使うきっぷでは過去最長距離かつ過去最大にややこしいきっぷとなります。

時期的に「北海道&東日本パス」も使えますが、この先特急に乗る区間が長いので、こっちの方が安くなったのです。

せっかく長い距離のきっぷを途中下車しながら使うので、ここからは途中下車印をもらいながら旅してみることにします。

こんな面倒なきっぷをイヤな顔ひとつせずに出してくれた札幌駅の駅員さんに感謝しつつ(むしろ嬉しかったりして……)、有人改札を通ります。このきっぷを見て、角館駅の駅員は何を思ったことやら。


角館2番線で列車待ち。内陸線とはうってかわって、結構な人数が列車待ちしていました。函館本線の森~長万部や根室本線の池田~釧路みたいに、優等列車以外はほとんど利用がない路線というイメージだったんですが、朝は普通列車もそこそこ需要があるようです。

ほどなく、大曲行きの列車が来ました。車両は標準軌台車を履いた701系5000番台2両です。角館では降車より乗車が多く、立ち客も発生。ボクはラッキーなことにボックスシートに着席できました。

朝日に照らされる雪原の中を走り、一路大曲へ。途中の羽後四ツ屋でこまちとの列車交換があったため数分停車。雪原の中を走るE6系というのは初見でしたが、車体が広いからか、ノーズが長いせいか、はたまた角度の関係か、7両編成の割に短く見えました。

羽後長野・羽後四ツ屋あたりでもそこそこ乗客があるなど、車内は主に学生で賑わい続けていました。

6時51分、大曲に到着。秋田行きに乗り換えです。

快速かまくらの末裔

さて、ここからはいよいよ秋田の近郊エリアです。30万都市・秋田の朝ラッシュに飛び込んでいきます。

大曲での乗り換え時間は約20分。やや持て余すレベルの時間ですが、重い荷物を背負って改札を出入りするのも億劫なので、さっさと1番線へ。

さて次の列車ですが、秋田行きなのは当然として、列車種別は普通列車ではありません。じゃあこまちか、というとこまちでもありません。というかこの時間帯は秋田行きのこまちはありませんし、あったら角館から乗ってます。

次の列車は快速なんです。日中はこまちと鈍行しかいない区間ですが、実は朝に一本だけ、湯沢発・秋田行きの快速があります。

で、この列車は結構歴史があり、そのルーツは快速「かまくら」という列車なんですが、まあググってもデータが集まらないこと集まらないこと。

というわけで、ちょっと自力で調べてみました。このテの快速列車が好きなので、ついやっちゃいました。


この快速列車は、平成14年12月1日のダイヤ改正の前まで、「快速かまくら1号」として運行されていました。

さらにその起源をたどると、昭和61年11月1日の「国鉄最後のダイヤ改正」で登場した、横手~秋田間を通過運転する快速「おものがわ」にまで遡るようです。「おものがわ」に限らず、当時の秋田近郊の普通列車は客車列車ばかりで、普通電車なんていませんでした。

最初は1往復だった「おものがわ」は、平成4年に1往復が増発。翌年12月には701系本格導入によるダイヤ改正があり、電車化されたうえに4往復に増便され、名称が「かまくら」に変更となりました。同時に、快速運転区間が湯沢~秋田間となりました。

その後平成7年に1往復が減便されましたが、平成9年の秋田新幹線開業時には「こまち」と接続するダイヤに変わりました。

平成11年3月に山形~秋田間の特急「こまくさ」が新庄~秋田間の快速に格下げとなると、湯沢~秋田間の快速が再編され、この区間の快速は「こまくさ」と「かまくら」の二本立てに変わり、本数は合わせて5往復となりました。

同年12月に上り「かまくら」1本が減便となった後、平成14年12月に現在も残る朝の1本だけを残して快速が消滅、愛称も廃止されました。

この他、1990年代(とその前後)は、快速「こよし」(羽後本荘~秋田)・快速「しらゆき」(秋田~大館。当初は「しらかみ」だった)といった列車が走っており、都市間快速が今よりは充実していました。

要点だけ説明しましたが、せっかく調べたので詳細な内容を旅行記の後ろの方に「付録」という形でまとめましたので、お時間がよろしければご覧ください。

今回乗る(旧)かまくら1号に絞った変遷をまとめると、以下の通りです。

昭和61.11.1
快速「おものがわ」(客レ)として誕生。当時の快速区間は横手~秋田
平成5.12.1
快速「かまくら」1号に名称変更。車両が701系に変更。快速区間が湯沢まで延伸
平成14.12.1
無名の快速に変更

さて、列車は定刻通り到着。車両は701系3両編成。3両編成には前日にも乗りましたが、車番は異なります。

前日と同じ理由で、中間車に乗ります。

座席は、湯沢・十文字・横手あたりから乗ってきたであろう乗客で、すでに埋まっています。大曲でも結構降りる客がいましたが、それ以上に乗車があり、席には座れませんでした。

混雑具合は、乗車率で言うと90%程度。札幌とは比べ物になりませんが、「ラッシュ」と呼べるレベルの需要があるところは見てとれます。

発車メロディ「秋田おばこ節」が響き、列車は秋田に向け出発。

停車駅は刈和野・和田・四ツ小屋・秋田のみ。かなり停車駅を絞っているあたり、都市間の通勤流動を重要視している列車とわかります。

最初の刈和野は学校が近くにあるので学生が降りましたが、時間帯的にそこまでは降りず、むしろ乗車の方が多かったです。

刈和野発車時点で、乗車率は100%を少し越える程度になりました。乗車率もそうですが、1M2Tの3両編成というスタイルといい、通過駅があり爽快なスピードで走るところといい、平日朝9時代の函館本線の「いしかりライナー」を思い起こさせます。

いしかりライナーとの大きな違いは、駅間の走行時間。奥羽本線の大曲~秋田間はもともと駅間距離が長いうえ、通過駅がかなり多いので、とくに刈和野~和田間は長いこと走りっぱなしです。

大曲~秋田間は43分。その間、ボクはまるで地元の列車に乗っているかのような気分でいました。一回乗ったことがある区間で、車両は乗り慣れた701系で、雰囲気がいしかりライナーっぽくて、しかも車窓は「電車でGO! 2」のせいですっかりおなじみなので、ね……。

ともあれ列車は和田と四ツ小屋でさらに乗客を拾い、終点・秋田に定時で到着しました。

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