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東京を目指す旅 ~この坂を越えて~(平成29年3月4~10日)
2日目(平成29.3.6) 4/7ページ「恐怖の羽黒山表参道」
「――話が違うじゃないか。」
思わず漏れる溜息。脚のスタミナは尽きかけている。それでも、時間は刻々と迫る。
ここを下ることは、不可能だ。上るしかない。しかし、進むこともままならない――
人生とは、坂道である。上り坂もあれば、下り坂もある。坂を上るほど、我々は成長する。
上り坂にも、緩い坂、急坂、いろいろある。急坂を必死で上るとき、それは「人生の節目」と呼ばれる。
今回の旅行は、まさに節目の旅行に相応しい「急坂」であった――
旅行2日目、羽黒山参道に挑む。
この参道こそ、この旅のハイライトにして、この旅が「坂を越える旅」たる最大のゆえんである。
五重塔までの道のり
午後1時ころ、出羽三山神社参道入口。ここから羽黒山頂の神社までは、2446段の石段が続く、体力勝負の道のりです。
山頂から降りるバスが発車する2時20分までに、お参りも含めてすべての行程を完遂する必要があります。さもなくば、バスに乗り遅れてしまい、この先の観光を一部あきらめなければならなくなります。それはすなわち、この旅行自体の完成度を大幅に下げることにもなりえます。
時間と体力、このどちらが欠けてもいけません。「旅行失敗」と隣り合わせの挑戦が、今始まります。
神域の入り口である随神門(ずいしんもん)をくぐると、その先には参道が続いています。参道は意外にも下りから始まります。
最初のチェックポイントは、国宝に指定されている五重塔。まずはそこを目指して、目の前に続く200段ばかりの下り石段に臨みます。この下りは、「継子坂」という名前が付いています。
鶴岡市街とは違って、羽黒エリアは雪が残っています。参道は背の高い杉の木が日光を遮るので、先ほどのバス停の付近よりも雪がしっかり残っています。ただ、参道自体はしっかりと雪かきがされており、歩くのには支障がありません。
といっても、石段は雪解け水で濡れています。滑って転ばないようにしつつ、ペースを上げて、少しでも早く山頂に着くべく歩いていきます。
坂を下ると、静寂の中に滝の音が聞こえてきます。この滝は「須賀の滝」と言います。
閑けさと、鳥のさえずりと、滝の音と……。そして、空気がおいしい。気持ちが洗われるような、癒しの空間。この時点のボクはすっかりレジャー気分です。しかし――
石段の先にあったのは、数々のお堂。楽しい気分は一掃され、思わず背筋が伸びます。そう、ここは森林公園ではなく、「境内」です。あくまで信仰の地なんです。
滝が見えてくると、一層気持ちが引き締まります。眼前に現れたのは、祓川(はらいがわ)の澄んだ流れ、そして赤塗りの橋、白い雪、これらが織りなすコントラスト。そしてなによりも、木漏れ日にきらめく川や滝の、「崇高」を感じさせる面持ち。
清らかな川をを目の前にすると、さっきまで「癒しの空間」と感じられたスギ林からも、荘厳さを感じます。そう、この川の向こうからが、本当の「神域」です。
なお、川はもともとそこにあったのですが、滝は江戸時代に人の手で作られたものだと言います。滝があると、荘厳さが増しますね。
昔はこの羽黒山を目指す者はそこで水ごりをしてから参道を上ったというその川を渡りながら、ボクは気持ちを改めます。「この先は、生半可な気持ちでは入ってはならない」と……。
このように、山の空気や景観、そして色合いが聖域らしい厳かさを醸し出すというところが、この山が修験道の山たる所以なのでしょう。
川を越えて少し歩いたところに立っていたのは、樹齢1,000年だという「爺杉」。ひときわ太いその幹は、おそらく何万人という修行者などを見守ってきたのでしょう。
北海道だと、このように人間(少なくとも和人)の歴史とともにあった巨木というのは多分ありません。知ってはいましたが、改めて北海道とはスケールの違う内地の歴史の重みを感じます。
北海道と本州の違いという点でもう一つ、やや脱線しますが、北海道にはスギがほとんどないんです。おそらく本州の方はスギ花粉症で苦しんでいる方も多いいことと存じますが、ボクはスギの花粉を普段吸わないので、血液検査をしてもスギ花粉症の反応は出ません。シラカバの花粉症は患っていますが、だからといってスギもダメ、ということはないようです。まあ、この時点ではまだ花粉の季節は来ていませんから、実際はどうなのかはわかりませんが。
閑話休題。爺杉にほど近いところには、木々の間から、ひときわ目立つ、どっしりとした、そして神聖さを感じさせる建物が見えます。
この建物こそ、五重塔。五重塔というと奈良の法隆寺や京都の東寺が有名ですが、こちらも負けじ劣らじの歴史があります。
平将門の建立と伝えられていますが、現在の五重塔は当時のものではなく、他の人が再建したものだと言います。
法隆寺の方の五重塔は以前修学旅行で見たことがありますが、法隆寺の五重塔にない羽黒山の五重塔の特色は、スギ林の中にあること。このせいで露光がとりづらくて写真が……じゃなくて、法隆寺とはまったく異なる雰囲気となっています。
法隆寺の方もそうですが、天を指すがごとくそびえる塔の立ち姿は、理屈抜きにかっこよさや美しさを感じます。こういう「理屈抜き」の感情――信仰心に代表される――というのも、大切にしなければならないのかもしれません。
……この五重塔までは、いわば「地獄の一丁目」。ここまでは平和な参道でしたが、この先には2000段を越える上りの石段が待っていることでしょう。
地獄のごとき坂道
――五重塔の先には、長い石段が待っている。そう思っていた時期が、ボクにもありました。
塔から少し歩いて、現れた上り坂を見上げた瞬間、絶句しました。
石段なんて、ありませんでした。
正確に言えば……、石段は、ほぼ完全に雪に埋もれていました。
ボクは、雪が融けた、もしくは除雪された状態の石段を思い浮かべていました。
ところが、この先は石段がほぼ完全に雪に埋もれてしまっています。ここを登るのは無理かもしれません。
随神門からここまでの道のりの中にも雪が積もった箇所がありましたが、平坦な箇所ばかりだったので問題はありませんでした。しかし、まさか石段まで雪の中とは……。
しかし、ボクは「路面凍結大国」である札幌の人間です。しかも、防寒靴を履いているので、冬道に対応できる状態です。
そこで、とりあえず先に進んでみて、無理そうなら引き返す、という方法を採ることにしました。
最初は片足だけ斜面に出して、ちょっとずつ体重をかけていきます。これで脚がズボッと埋まるようなら、引き返した方がいいでしょう。
少し雪が沈み込みましたが、なんとか歩けそうなレベル。少なくとも、この時のボクはそう感じました。
一歩、二歩……と、スキーのごとく足を逆ハの字にして斜面を登り始めます。やっぱり急なので、そうとう踏んばらないと落ちてしまいそうですが、なんとかいけそうな気がしました。
あくまで参道を登るという覚悟を決めたボクは、ここから続く「一の坂」「二の坂」「三の坂」の三つの急坂へと挑むのでした。
まずは一の坂が立ちはだかります。ゆっくりと、半ばよじ登るように歩を進めます。
真ん中を過ぎたあたりで、恐れていた事態が起こります。
左足の接地感がない。刹那、体が後方に向かって大きく動揺します。一般に、「滑落」と言われる状態の、一歩手前です。
必死で手足をすべて使って踏み止まります。生きた心地がしません。
ここからは「四輪駆動」です。サルにでもなったかのように、手をも使って、文字通り「よじ登り」ます。
しかし、これではまったくスピードが上がりません。二足で歩かなければ、いくら時間があっても足りません。そう思って体を持ち上げ、次の一歩を踏み出した、次の瞬間――
その足は、雪の中に吸い込まれていきました。すなわち、恐れていた「吹き溜まりへの落下」です。
再び手を付け、なんとか体勢を立て直します。足が埋まった箇所を避けて、なんとか埋まらないようにして上を目指します。
――ごく短時間の間に、ボクは二度も命の危機に瀕したのです。
しかも、なまじそれなりの距離を登ってしまったがために、もはや引き返すことはできません。急な雪の斜面とあって、下る方がどう考えても危険だからです。
ただ登るのでも相当な体力を使う急な雪の坂、しかも滑落と吹き溜まりに警戒しながらの行動、下手したら四足でのいざり歩き、となると、想像を絶するほどの勢いで体力が奪われ、あっという間にインナーウェアは汗に濡れます。もうやっていることがまんま冬山登山です。
まさか一の坂だけでここまで消耗することになろうとは、随神門をくぐった時は思いもよりませんでした。
進むも地獄、退くも地獄――旅行2日目にして、ボクはとんでもない「山場」に直面してしまいました。
羽黒山決死行
地獄を体現するかのごとき羽黒山の急斜面に、それでもボクは挑み続けました。
戻ることができないから、というよりも、「この先に何があるか見たい」「これを乗り越えてなんぼ」という、好奇心、修験への畏敬、それに闘志が、ボクを駆り立てたのです。
気合いで一の坂をクリア。この時点で足はよろよろ、汗だくだく。体もかなり疲れ、肩で息をしていました。
先を急がなければならない状況ではありましたが、体力を回復させなければ、この先の二の坂・三の坂には太刀打ちできません。
やむなく、5分の休憩をとります。サブバッグに入れておいたペットボトルを取り出し、バスケットボールの試合中であるかのようにがぶ飲みします。先ほど飲み物を補充しておいたのは正解で、ペットボトル1本だけで来ていたら、水分が足りなくなるところでした。
5分後。回復しきったとは到底言えない状況ではありますが、さすがにこれ以上時間をかけられません。気勢を上げて、次なる難所である二の坂に進みます。
二の坂は、「油こぼし」の別名を持つ急勾配。一の坂でもきつかったのに、それを上回る難所が待っていたのです。
この時はそんな予備知識は持っておらず、「一の坂は行けたんだから、二と三も行ける!」などと根拠のない言葉で自分を鼓舞し、二の坂に足を踏み入れました。
アタック開始から数歩、早速足が滑ります。二の坂の恐ろしさを味わえといわんばかりに、いきなり苦しめられます。
必死にバランスをとり、なんとか命をつなぎます。
先述の通りバックパックをロッカーに預けていないので、荷物を背負った状態での参道歩きとなりましたが、かえってそれがよかったのかもしれません。バランスがとりやすかった(ような気がする)のと、もし滑ってひっくり返ってしまっても、バックパックが背中のクッションになってくれるという安心感があったからです。
その後も、何度となく足を滑らせ、嫌になるほどの回数足が埋まりました。死と隣り合わせの状況が続き、冷や汗の連続。生きた心地はまったくしません。
そうした中で、変な話ですが、ボクは「生きている」という実感を強く感じるのでした。今にも死神に首を持っていかれそうだという状況だからこそ、人は逆に生というものを認識するようです。
足は震え、息も絶え絶えの状態。しかも、参道を50分で抜けるのが難しくなってきており、焦りも感じます。思わず一言。
「――話が違うじゃないか。」
冬道慣れしてるボクだからまだいいですが、こんなの普通は1時間で行けるものじゃありません。というか、生きて帰れるか怪しいレベルです。
ほぼ参りかけているボクの後ろには、なかなかの景色を見下ろせるのですが、この状況ではかえって嘲笑われているように思えてなりません。どうしてこんなことに……。
やっとの思いで二の坂を登りきったボクは、疲れた足をひきずって先に進みます。
三の坂まではしばらく平坦な道なので、坂に比べれば楽な場面です。そうは言っても吹き溜まりはあるので、気は抜けません。
このセクションには茶屋があるのですが、季節が季節ですし、まあ間違いなく営業していないでしょう。人が通った形跡がほぼないのでね……。
三の坂の手前で、再び休憩としました。しかし、あまりゆっくりもしていられません。
時間がないのもありますが、それ以上の問題として、天気が悪くなる前兆が出始めていました。風が強くなってきていたのです。
早く登らないと、雷雲が攻めてきます。倒れそうな体に必死でムチを打ち、荷物を持って三の坂へと向かいます。
アタックを開始したボクは、さっきまでとは違う気持ちで坂を登っていました。焦燥感もそうですが、一方で安心感も出てきていました。
というのは、まず一つに「もう三分の二は終わった」と思えるからです。夏休みの宿題のラスト数ページをやるような気分になれたわけです。
もう一つ、ここまで来れば、万が一行動不能になっても、叫んで助けを呼べば山頂まで声が届きそうな距離まで来たからです。すでに坂の上にある鳥居が見えており、気持ちを落ち着かせてくれます。
とはいえ、徐々に焦りの方が強くなっていきます。結構登ってきたので、見方を変えれば雷に打たれる可能性も増えるわけです。雷鳴は聞こえていませんが、聞こえた時点で手遅れなワケで、油断はできません。
手足をいっぱいに使って、決死の思いで山を登ります。三の坂は三つの急坂で一番の長距離で、終わりがなかなか見えずもどかしさを感じましたが、それでも上に見える建物が徐々に近づいてくるのを励みに、力を振り絞ります。
それからしばらくのことは、あまりに必死だったので、よく憶えていません。もがくこと十数分、ボクはついに三の坂を越えることができました。
ご注意
※筆者は特殊な訓練(=札幌暮らしという名の路面凍結対策訓練)を受けています。積雪がある場合の羽黒山参道(五重塔を過ぎた後)は大変危険ですので、修行者でない方かつ冬山登山の心得の無い方は絶対に進入しないでください。積雪の有無の判断は、気象庁のWebサイトの、「狩川」の気象データを参考にするとよいかと思います。