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東京を目指す旅 ~この坂を越えて~(平成29年3月4~10日)

1日目(平成29.3.5) 5/8ページ「阿仁合・鉱山町の歴史」

阿仁合駅で馬肉ランチ

森吉山での樹氷観光を終え、秋田内陸線の阿仁合駅に戻りました。駅にはずいぶんたくさんの人がおり、ベンチに座れないどころか、荷物を置いておくのもキツイ。「お前の席無ぇから!」

この日の昼食は、駅舎内にあるレストラン「こぐま亭」で食べるのですが、こちらも席無ぇです。しかも結構待たされそうな感じ。

とは言っても、この後は時間がだぶついているくらいなので、時間のことは気にせず、とりあえず食券を買って店員に渡し、席が空くのを待つこととしました。

この間に、まずはこの先で使うきっぷを調達。すでに「森吉山観光パス【冬季】」を持ってはいますが、急行に乗る場合急行券が別に必要なので、それを買います(地味にネタバレ……)。ついでに、硬券入場券もゲット。ちなみに、先ほどの鷹巣駅でもゲットしています。これらの入場券の画像は本旅行記の後ろっかわにある「車掌室」で公開していますのでご覧ください。

お土産などを扱うお店も2店出ているので、お土産の物色も。興味を惹くものがいくつかありましたが、有名な「バター餅」はこの日は出ていないようでした。またいずれ秋田北部を訪れた際にでも買うとしましょう。

で、レストランのカウンターに空席ができたので、着席。食券購入から着席まで文章4行をも費やしてしまいました。

そこからまた待たされること10分内外、ようやっとお目当てのものが出てきました。

今回注文したのは、馬肉シチュー 黄金ライス添え。スープとサラダを付けて1,100円です。

このレストラン、首都圏でコックとして活躍していた鷹巣出身の麻木昭仁氏がやっているということで、かなり本格的な食事が楽しめます。それを考えると1000円少々という料金設定はかなりのお値ごろ感があります。

その麻木氏の考案だという馬肉シチューのメインはその名の通り馬肉ですが、馬肉なんて今までほとんど食べたことがないわけです(というか人生初?)が、とりあえず口に運んでみます。

馬ですからやっぱり固いんですが、ヘルシーさと旨さがあっておいしい。シチューの方も、今まで食べたことのない味わいで、「本格的なシチューってのはこういうもんなんだなあ」と思わされました。スープ・サラダもおいしく、本当に幸せな食事でした。

感想としては、「これ1,100円でいいのかなあ」というのが正直なところ。もう200~300円とってもいいのよ、と。何せ混雑しまくってまして、店員さんもめっさ大変そうだったので、需要と供給を考えるともちっと高めが適正値ってなもんです。実際これだけおいしいと知っていれば、1,500円くらいでも食べたと思います。

さて腹ごしらえが済んだところで、有り余る時間を活用して阿仁合駅周辺を観光します。

鉱山のまち・阿仁

阿仁合での滞在予定時間は残り約2時間強。この時間で、まずは駅付近の「阿仁異人館・伝承館」を見学します。

入場料は大学生1人300円のところ、「森吉山観光パス【冬季】」の効果で200円で入館できました。観光パスにはほかにも特典が付いており、周遊型観光客に優しいきっぷとなっています。

まずは入ってすぐの「伝承館」の方から見学。この地域にはかつて「阿仁鉱山」があったのですが、その歴史や鉱業地域ならではの文化を伝承する目的で開設されたのがこの施設です。

江戸時代前期に開かれた阿仁鉱山は、主に銀や銅を産出し、一時は銅の産出量で日本一だった時期があります。その後藩営・官営の時期や恐慌に伴う一時休止を経て、昭和の時代まで頑張っていましたが、資源が枯渇したため昭和53年に閉山しました。

伝承館では、阿仁鉱山で使われていた道具や、作業の様子を伝える絵などを見ることで、鉱山でどんな技術が使われ、どんな風に作業が進められていたかを垣間見ることができます。

また、鉱山での作業から生まれた民族芸能である「からめ節」についても解説され、産業と文化の両面から鉱山のまちだった阿仁の地域性を理解できます。

さらに地域に伝わる「根子番楽(ねっこばんがく)」に関する展示もあります。実際に見てみたいという気持ちがありましたが、時期が時期なのでまあ無理でしょう。

小規模な資料館ではありましたが、阿仁がどんなところなのかを大まかに掴むことができました。


伝承館から地下通路で、隣の異人館に向かいます。入館料は2館共通です。

異人館は、かつて阿仁鉱山に「お雇い外国人」として来たメッケルらの居所だった建物です。外国人のための建物ということで、当時の本州としては珍しい洋館となっています。

もっとも、札幌界隈でも開拓使の建物でそうした洋風建築がみられるので、ボクにとっては「明治時代の洋館」は珍しいものではありません。こういうところで、道内と内地の歴史の違いを感じられますね。

館内では内装を見学できるほか、阿仁におけるメッケルの活躍などの解説パネルを読むことができます。

解説で一番気になった点が、江戸時代に平賀源内が鉱山にかかわっていたこと。源内はエレキテルの発明などで知られる「日本のダヴィンチ」とでも言うべき多才かつ才知にあふれる人物で、生まれた時代さえ間違わなければ日本史上有数の偉人に数えられていた人ですが、その源内が経営の傾いていた阿仁鉱山の立て直しに一役買ったと言います。

建築に関しては、ボクはその方面にはまったく明るくないので、ほとんどコメントできません。悪しからず……。

……なんで写真がないの、って? 撮影禁止だったんだ、すまない。


さて、ここで話が脇道に逸れますが、ここで一つの問題が発生しました。

膝が痛いんです。

実は、(何ページか前でちらっと書きましたが)今回の旅行からバックパックを背負うことにしました。今までは普通のリュックでしたが、大型旅行では容量が不足するので、バックパック購入に踏み切りました。つまり、今回初めてバックパックを背負って旅に出たわけです。

リュックと異なり、肩だけに負荷をかけずに背負えるので、今までの旅行で生じていた肩の痛みがなくなり、重くても疲れなくなるだろう。そう思っていました。

しかし、そうは問屋が卸さなかったのです。

確かに肩の負担はかなり減りました。しかし、日程などなどの都合で荷物の量が過去最大級となってしまい、それを2本の足で支えるために今度は膝が悲鳴をあげてしまったのです。

というわけなので、この先は「背負う必要がない時はバックパックを下ろす」ということをより強く意識して行動することとします。

阿仁ご自慢の? お寺とお蔵

で、まだ1時間半ほど時間があります。ここから列車の時間までは完全にノープランです。何をしようか考えるために、とりあえず阿仁の情報をスマホで調べていましたらば、面白そうな情報が入りました。

天井に竜の絵が描かれたお寺があり、見ものだというのです。そのお寺は現在地から近いところにあるようで、参拝がてら見に行くと言うのも悪くなさそうです。あとさっき撮影禁止だったぶんの写真の撮れ高確保ゲフンゲフン

というわけで、早速お寺を目指して出発。中高層建築が一切ない、文字通りの田舎道を南に向かって少し歩きます。目的地は、内陸線の踏切を越えた先です。

……というか、むしろ寺の敷地が踏切に分断されている感さえありました。いろいろな歴史がありそうなお寺です。

そのお寺の名は、浄土宗 専念寺。特に法事などもやっていないようなので、入っちゃいましょう。

見ず知らずのお寺に入ったことがないので恐る恐る戸を引いて入ってみると、中は普通のお寺でした。

そこまで長く滞在する予定はありませんでしたが、お茶の用意があり、「ゆっくりしていってください」とおもてなしを受けてしまいました。で、そのお茶がおいしいと来たもんだ。膝の痛みもあり、「これは運命の出会いにして、『ここでくつろげ』という御仏様のおぼしめしなんだな」と考えて、しばらくお寺で休憩することに。

この方は若いボクを見て、「畳はいいものですよ」と、畳の部屋の安らぎを感じてもらおうとしていらっしゃいました。心配入りません、我が家には畳の間が一部屋あります……というのは措いておいて、言われた通りに畳の匂いを感じながらくつろぎます。

来訪者はほかに観光客が一人いるだけで、お寺の中は実に静か。で、実はボクの実家の仏壇がある寺が浄土宗なので、浄土宗のお寺というのはボクにとって「居心地のよいおなじみの場所」でした(しかも浄土宗の教えはボクの思想ともマッチします)。もうホントに「ゆっくりしろ」という啓示としか考えられませんでした。

ここしばらく、旅行の準備やリアルの事情などで気が休まる時間があまりありませんでした。少し休むべきタイミングなのかもしれません。急ぐ旅ではありますが、今ばかりは立ち止まるとしましょう。

さて、座って上を見上げると、天井には躍動感のある大きな竜の絵が。といっても、別にそこまで感動する絵というわけではない……のですが、驚くのはここから。

実はこの絵、絵の心得のない住職さんが、夢で見た竜を一晩で描き上げたとかなんとか。まさか画家の絵ではないなんて思いもよらなかったので、後でその話を聞いてびっくりしました。

しばらくの間、その絵をゆっくり眺めるほかに、阿弥陀如来様にも手を合わせるなどして、スローな時間を送っていました。心身ともに立て直すことができました。

お寺には周辺の観光情報のパンフレットなどもあり、それを見ていましたら……、面白い情報が入りました。

「北秋田のおひなまつり」。開催期日、2月18日から3月5日、つまりこの日まで。

メインイベントは歴史ある雛人形の公開ですが、パンフを見ていたら気になる場所を見つけたので、そちらに行ってみることにします。


専念寺からそう離れていないところにある、湊商店さん。このお店が、普段は公開していない内蔵を見せているというので、見せてもらいに行きます。

お店にはスタッフが二人。一人は年配の方で、もう一方は比較的若い男性。この二人が内蔵を案内してくださいました。

湊商店は明治時代の創業といい、蔵には阿仁鉱山が賑わっていた時代に高級品を仕入れていたそうです。

例えば、当時の内陸地方では貴重だった海苔。交通不便で海産物が貴重な阿仁にも、かつては海苔に手を出せるほどノリノリで儲けていた人がいたといいます。

また、蔵の周辺で建材として使われているブロックは、阿仁鉱山の鉱滓を固めたものだといいます。

かつての阿仁鉱山の繁栄を、資料館とは別の切り口で垣間見ることができ、いい観光になりました。

この商店を訪れたもう一つの理由が、無地のノートの購入です。実は先ほど阿仁合駅で駅スタンプを捺したところで持参のスタンプ帳が埋まってしまい、その先の駅スタンプが捺せない状態となっていたのです。なので、地元の小学校が指定する自由帳を買いました。きっと今後、一生の思い出となるスタンプ帳となるでしょう。

見学と買い物を終えた後は、お店の方といろいろ話し込んでいました。お茶を出してもらっておいて出ることなんてできませんし、地元の方とのお話もまた観光ですからね。なお年配のほうの方は思いっくそ秋田なまりでお話しになる方で、ボクではその3割も聞き取れない有り様(それでも3割程度は聞けるのは、北海道と共通の訛り方があるからでしょう)だったので、もう一人の通訳なしではコミュニケーションに苦心しました。同じ国内で通訳が要るというのもミョーな話な気がします。日本国内でこんなに文化が違うんだ、やっぱり世界ってとんでもなく広いなあ。

先ほど「阿仁合駅が混みあっている」と申しましたが、湊商店によればこんなに人がいることはそうそうないとのこと。話題の『君の名は。』効果にしては時期が外れているので、一体どうしたのだろうか、と頭をかしげていました。今思うと、阿仁合駅前に観光バスがいたことから、ツアー客による内陸線の短距離利用(ボクは「ちょい乗りテロ」と呼んでいます)によるものかもしれません。

内陸線の話などもしていました。「観光で地域を活性化させたい」「内陸線でたくさんの人が観光に来てほしい」といった思いも語ってくださいました。その思い、しかと受け止めましたよ。(この旅行記が観光振興にどれだけ役立つものやら)

あと、お決まりですが「どこから来たの」という話とか。「札幌です」というとたいそう驚かれていました。曰く、「ここより北から来た人は初めてだ」と。ホントでしょうかね。

列車の時間が近づいたところで、駅に戻ります。ノープランだった割にはいろいろなものを見聞きすることができ、有意義に過ごすことができました。

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