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東京を目指す旅 ~この坂を越えて~(平成29年3月4~10日)

1日目(平成29.3.5) 7/8ページ「打当温泉&マタギ資料館」

送迎車に乗って打当温泉へ

内陸線の急行「もりよし」で行く楽しい旅も、もうすぐ終わり。下車駅の阿仁マタギ駅が近づいてきます。

楽しい旅といっても阿仁合からのたった24分なんですが、その短い間でも内陸線の魅力にたっぷり触れることができました。

で、阿仁マタギ駅から向かう場所が打当(うっとう)温泉というところで、駅から送迎サービスがあるのですが、アテンダントさんはその手配が済んでいるかを訊いてくださいました。前ページでも触れましたが、本当にすごい心配りをされているアテンダントさんで、頭が上がりません。

そんなアテンダントさんともお別れです。列車は阿仁マタギに到着、ドアが……自動では開かないんですよね。それをすっかり忘れて、アテンダントさんの目の前で不格好な棒立ちをするボクは、さぞマヌケだったことでしょう。

ともあれ、駅のホームで走りゆく急行もりよしを見送り、温泉に向かいます。


駅前にはすでに送迎が来ていました。早速車に乗り込み、打当温泉を目指します。

歩ける距離ではあるのですが、歩くと移動時間が増えるぶん微妙にタイトな日程になってしまうので、せっかく送迎があるのだから利用することにして、事前に電話を入れておきました。宿泊客でもないのに送迎というのも少々気が引けましたが、電話したところ快く受けてくださいました。

森吉山で予想以上に体力を使っていたことや、膝が痛くなっていたことを考えると、送迎を頼んだのは大正解でした。

温泉までは、車で行くとあっという間です。車は細い道をスイスイ走り、温泉の駐車場に入っていきました。

マタギ資料館を、どさんこ視点で

というわけで、打当温泉 マタギの湯に到着です。

もちろん入浴のために行ったわけですが、その前に一つ。

この施設は、マタギ資料館を併設しています。温泉の前に、そちらを見学することとします。フロントで入館料150円を払って入場。

狩猟を主な仕事とする人々であるマタギは、近年こそかなり数を減らしていますが、かつてはこの打当のあたりがマタギの里の一つとなっていたといいます。

この地域に興味があった理由の一つに、このマタギの文化というのがどんなものなのか知りたかった、というのがありました。

そしてマタギに関心があったのが、マタギがアイヌ文化との関わりを持っている可能性が指摘されているからです。

アイヌは北海道の先住民として捉えられがちですが、本来アイヌは北海道のほか、千島や樺太などにもおり、結構広い範囲に影響力を持っていました。さらに南、東北地方にまで足を伸ばしていても、どこも不思議ではありません。

また、いわゆる和人も古代のころから東北以北に進出した歴史があります。ということは、和人とアイヌとの交流が古くからあっても、何の不思議もありません。

事実、この秋田県にも「生保内」「院内」など、アイヌ的な地名がいくつも存在します。アイヌが東北で生活していたか、少なくともアイヌと東北の交流があったことが読み取れると思いませんか?

ちなみにこの打当という地域は、かつて打当内といったそうです。あくまで憶測ですが、北海道苫小牧市の地名「ウトナイ」と似た発音になるところを見ると、両者は語源が同じかもしれません。

まして、東北をメインの拠点としていたマタギが、アイヌと交流していた可能性は、かなり高いのではないでしょうか。

そもそも文化というものはその全てが「ピジン」や「クレオール」と同じようなもので、地域・民族に固有の文化といってもそれが他の文化の影響を全く受けていないことはないはずです。

こういう風に考えたとき、ボクは文化どうしのつながりというものを見てみたいと考えるようになり、地元の文化とのつながりがありうるマタギという人々に興味を持ったのです。

そんなわけで、資料館では主にアイヌと比べるようにマタギの文化を学んでいました。


さて、実際に資料を眺めてみて―― (写真はないんだ、すまない)

当初の予想どおり、マタギの文化はアイヌを思い起こさせるようなところが部分部分でありました。とくに、祭事やその道具がアイヌのそれと似ているように思いました。

また言葉の面でも、たとえばアイヌ的なの「ワッカ」は水を意味するのですが、マタギの言葉における「ワッカ」にもそういう用法があるといいます。

ただ、アイヌとは違う部分もあるように思われ、マタギ文化は必ずしもアイヌ文化と共通ではないのだな、と思いました。いずれにせよ、やっぱりある程度の関連があるのかな、と感じました。


そのほかの着眼点としては、マタギが時とともにその狩猟対象などを変えていった点に注目しました。

昔は好きに獲ってよかった動物が法規制で自由に獲れなくなった、ということが何度もあり、マタギはそれに合わせざるを得なかったといいます。

生態系を守るためには必要な規制だったのでしょうが、マタギにしてみれば収益源を奪われたも同然で、おそらくは規制がかかるたびに相当な苦労をしたことでしょう。

生態系を守ることが本当に正しいことなのかは、実はボク、自分の中で答えが出ていません。まあ今は措いておきましょう。

こんな感じでいろいろな点に着目して見てまいりまして、とりあえずぼんやりとですが、マタギがどんな人々だったか、ということは掴めたと思います。

夕暮れの打当温泉

マタギ資料館を一通り見学した後は、温泉に入ります。

またフロントに行って、今度は入浴料を払います。本来600円のところ、「森吉山観光パス【冬季】」の力で100円引きの500円で入れました。観光パスは今回、大車輪の活躍ですね。

浴場は閑散としており、ボクと入れ替わりでお客が出ていってからというもの、ボクが風呂を上がって脱衣場を出るまで、浴場はボクの貸し切り状態でした。

阿仁合にはあんなに人がいたのに、そして角館や田沢湖にはもっとたくさんの人がいるはずなのに、打当はひっそりとしています。樹氷シーズンですし、内陸線の旅人がほかに何人か打当に行くかな、と思っていたのですが、送迎車はタクシー状態、風呂場も貸し切り。ちょっと予想外でした。

そう言えば、東北の温泉は体を洗うということに結構厳しいというイメージがあります。打当は特に何もないようでしたが、以前入った温泉には「体は尻や局部までよく洗うこと」なんて掲示があったことがあり、他のサイト様を見ると、ちゃんと体を洗ったと思ったのに地元の入浴客に「ちゃんと洗え」と怒られたという話もあるようです。

体をゴシゴシ洗っても実は汚れは落ちず、体の汚れはむしろ湯船に浸からないと落ちない、なんてことも科学的に言われているようで、こういう風習はどうなのか、と思わなくもありません。

ですが、そういうことを頭でわかっていても、(日本人の場合)体を洗わずに湯船に浸かる人がいると嫌な気分になる方が多いのではないでしょうか。

してみると、入浴者どうしがお互いに気分よくお湯に浸かるためにこそ、体を洗うことを求められるのではないでしょうか。

……というようなことを考えながら体を洗っていました。貸し切りとはいえ、地元客がいるものとして、隅々まで。


体を洗った石鹸を落として、お待ちかねの入浴です。温泉の液性はたしか、前日の湯の川と同じ中性だったと記憶しています。pHで言うと、記憶が正しければ7~8程度です。

湯船にゆっくり浸かって、体を休めます。何度も申し上げますが、旅行前の多忙、寝不足、山歩き、重いバックパック背負いっぱなし、とここまで体をいじめてきたので、ここでしっかり休みます。

露天風呂もあるので、外へ。冬なので寒いですが、涼しい風を浴びながら、雪を見ながら風呂に入るというのが気持ちいいので、冬の露天は好きです。

空を見ると、日が西に傾き、赤く燃えながら山の稜線の向こうに隠れようとしていました。優しくも哀愁を感じる夕日を眺めながら、一日の出来事を反芻しつつ、心休まるひとときを過ごしていました。


ちょっとゆっくりし過ぎたようで、風呂からあがったら列車の時間が結構近づいていました。急いで支度をして、送迎車に乗せてもらうべくフロントに行きます。

先ほど乗った送迎車にまた乗せてもらい、駅まで戻りました。急いで支度したはいいのですが、駅では案外時間が余りました。

とりあえず、空を見上げてみました。晴れてはいますが、すでに日は沈み、夕方から夜に変わろうとしている空を眺め、深呼吸しておいしい空気をたっぷり吸い込みます。

その後、駅の待合室へ。阿仁マタギ駅は1面1線のごく小さな駅で、狭い待合室のほかは何もありません。他に列車待ちの客もおらず、ただ静寂に包まれていました。

待合室には駅ノートがあったので、ちょいと拝見。やっぱり送迎で打当温泉に行く客が多いようでした。

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