「ゲニウス(北)の北海鉄旅いいじゃないか」

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東北リベンジ~旅は、何かを変える~(平成27年2月11~16日)

3日目(平成27.2.13) 4/5ページ「川井にて」

とある岩手の山村へ

サイコロの目は絶対です。すぐさま荷物をまとめ、下車態勢に入ります。

陸中川井に到着。ドアボタンを押して、下車。後には退けません。

ホームで、車掌さんに「ここでいいんですか?」と聞かれてしまいました。いかにも旅行者という出で立ちでしたから、茂市あたりと間違えて降りたと思われたのだと思います。ボクは車掌さんに対し、「ハイ」と大声で即答。しかし、心の中では、「本当にここでよかったんだろうか」と思っていました。

かなりの強風が吹いていました。しかし、天気は晴れ。天候急変の予兆もなし。とりあえずは胸を撫で下ろします。

駅前を見渡すと、思っていたよりも大きな集落がありました。生活の気配を感じて、ホッとしました。

とは言っても、正直この時は頭の中が半分ほど真っ白になっていました。この瞬間に自分がどれほどのリスクを背負ったかは重々理解していたので、怖かったんです。

川井に着いてまず行ったのが、郵便局。旅行も中盤ということで、荷物を減らすべく自宅に荷物を送るためです。

郵便局は思っていたより大きかったです。というのも、来るまでは簡易郵便局のようなものを想像していました。川井のみなさん、さっきからいろいろとすみません……。

まずは荷物を入れる袋(ダンボールもありますが金銭的コストを考えて袋にしました)を買って、荷造りです。仙台で買ったお土産や、脱いだ服などを投入。そして、送り状を書いて、再び窓口へ。

窓口の方はとても親切に応対してくださいました。「旅行ですか?」と聞かれたのを皮切りに、いろいろと旅行の話をしていました。山間の見知らぬ土地で人に会った安心感からか、余計なこともくっちゃべっていましたが……。さすがにこの日の「盛岡→ほっとゆだ→盛岡→宮古」という日程にはドン引きのご様子でしたが……。

ゆうパックは利用したことがなかったので、勝手がわからなかったのですが、丁寧な対応のおかげで無事に荷物を送ることができました。郵便局の方々に感謝です!

荷物を預けたところで、郵便局を後にします。次に向かうは、「北上山地民俗資料館」。

北上山地民俗資料館

「北上山地民俗資料館」に入館。ボクが川井の地を訪れた理由は、このためです。

当サイトの「リンク」のページからリンクさせていただいている「北海観光節」の旅行記のコーナーで絶賛されていたのを見て、山田線に乗るなら是非来よう、と思っていたんです。

入館料を支払い、館内を見学。撮影禁止ということで写真はありません。言葉で説明してまいります。

北上山地の中の高原地帯に位置する川井村は、古くから人々の暮らす山村です。そこでは、先人の知恵を土台とした伝統的な暮らしが営まれていました。

そうしたかつての村の暮らしを、この資料館では様々な展示品から垣間見ることができます。

この資料館の凄いところは、とにかく展示品の数が多く、また特定のジャンル(たとえば農耕具とか)だけでなく広範にわたって収集されている点です。それらが体系的に展示されていることで、ひとつひとつの展示をそれ単体として見るのとは違い、当時の暮らしをより臨場感をもって知ることができます。

さらに、木を切ったり運んだりする技術を紹介する展示も充実しています。説明書きでわかりやすく伝えるだけでなく、実際にその技術を使って木を伐採している映像も見ることができます。

ところで、その映像では登場する人々は(当然ですが)この地の言葉で話しており、その意味はあまり理解できませんでした。とかくに札幌という地はニュートラルなところでして、街中でもあまり方言が聞かれません。若者に至ってはせいぜい「なまら」をネタとして意識的に使う程度でしょうか。そういう環境なので、北海道弁に少し似ていると思われる東北のなまりですら、満足に聞き取れないのです。

伝統行事や信仰など、民俗に関する部分についての展示を見ていると、いろいろなことを考えさせられました。考えたことの半分以上は、他の分野の資料を同時に閲覧していなければ考えもしなかったでしょう。

この資料館を訪れて、ボクは何か大切なことを学べたように思います。それは、きっと札幌にいては絶対に学ぶことができないもの。でも、それが何かは今のボクにはわかりません。

ひとつだけ言えることは、こうした伝統的な暮らしや民俗は、絶対に後世に語り継がなければならない、ということ。社会が変化する中で故(ふる)いものが失われていくのは当然のことですが、その中で大切なものは残していく必要があるな、と感じました。そうでないと、人間は何か大事なものを失ってしまう気がします。

素晴らしいものを見させてもらいました。来てよかった、と思いました。

文化の山ぞ温かき

さて、この後どうしましょう。またしても決断です。

駅に戻って、列車で宮古に行くか。それとも、バスに変更か。

スマートフォンでJR東日本のサイトを見た(場所柄、電波状況が悪いことを懸念していましたが、4Gがバリ4でした。科学の力ってすげー)ところ、山田線に遅れの情報はなし。しかし、前日のこともあるので、サイトの情報を鵜呑みにはできません。慎重な判断が要求されます。

情報がほしいボクは、とりあえず資料館の受付で訊いてみることに。

資料館のスタッフの方は、見ず知らずのボクにとても親身に接してくださいました。

鉄道かバスかで悩んでいるという話をしたら、「山田線は雪に弱いですからねえ」と。……鉄道の長所である悪天候への強さを自ら否定しているのが山田線の現状。どうなんよ……。(まあココに限らず普通列車だけのローカル線の多くはそんな感じですわな。日高本線とか留萌本線とか日高本線とか留萌本線とか日高本線とか留萌本線とか)

で、そのスタッフの方が、わざわざ駅に電話で運行状況を訊いてくださいました。そうしたら、「遅れの情報はない」との返答をいただいた、とのことで、山田線で宮古に出ることに決定しました。お手数おかけしました……。

郵便局の件、そしてこの資料館の件と、川井に来ていろいろと人のお世話になりました。

この場をお借りして……、いろいろご面倒おかけしました。そして、本当にありがとうございました。

よくテレビの旅行番組で「人情旅」という触れ込みを目にしますが、今回の旅はまさしく人情旅。今まで以上に、「人情に触れたなあ……」という思いです。そういう点でも、川井に来てよかったんだなあ、と。

いい思いをしたうえ、資料館はいい勉強になりましたし、列車も止まってない。陸中川井での下車は、全くもって間違いではありませんでした。

駅に戻る途中、閉伊(へい)川を渡りながら、山や川の織り成す風景に心を打たれつつ、川井での出来事を振り返っていました。いや、本当によかった。

しかし、まだ旅は前半戦の終わりに差し掛かったところ。もっといい旅にしよう。

川井から宮古へ

陸中川井駅に戻りました。この駅は簡易委託駅で、JR本体の社員ではありませんが、駅員がいます。

未だに非自動閉塞を採用している山田線では、閉塞の扱いのためJR直営の有人駅が結構あり、利用客が少ない割には無人駅が少ないのが特徴です。一方、陸中川井は閉塞の区切りの駅ではありませんが、簡易委託ながら駅員がいます。山田線の中では利用客が多い部類に入るのでしょう。

さて、この駅では切符鉄垂涎の品を買うことができます。「常備券」です。

今では大半の駅でマルスなり総販なりの機械であの緑色のきっぷを出すのがふつうですが、この駅ではそういう設備はなく、常備券をメインのきっぷとして販売しているようです。

薄い紙に、発駅と金額が書かれています(金額式)。記念入場券などで見られる硬券ではなく、軟券です。軟券はニセコでしか買ったことがないので、ボクにとっては超レアものです。

とりあえず、茂市まで行ける240円区間のきっぷを出してもらいました。まあ切符収集目的なので、何円でもいいっちゃあいいんですが。

きっぷには、「ム」のマークが。いいねえいいねえ。

きっぷを買った後は、待合室でしばし待機。

5分前にホームに移動。1面1線のごく小さな駅ですが、向かいの空き地がかつての姿を彷彿させます。

ここから、宮古行きの快速リアスに乗車。列車は定刻通りに到着。杞憂でした……。

座席に座ると、川井の人々に感謝しつつ、流れていく駅や山村を惜しむように見ていました。

さて、「また」快速リアスです。日中の宮古方面は快速ばかり。それだけ途中駅の利用が少ないということですね。

列車に乗っていると、気が付いたら車窓から雪がほとんど消えていました。川井までの道のりでは、雪がしっかり積もっている地域が多かったですが、川井ではそんなに雪がありませんでした。そして、川井より東では太平洋沿岸に近づくので、雪がほとんど見られなくなっていきました。

それはそうと、山田線の遅いこと遅いこと。区間によっては、隣の国道106号線を走る車にどんどん追い抜かれます。

それでも、乗車時間は35分と短めなので、遅くていらつくほどの時間はありませんでした。

茂市を過ぎ、最後は三陸鉄道北リアス線と並走して、終点・宮古に到着。これで山田線の宮古以西を走破しました。

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