「ゲニウス(北)の北海鉄旅いいじゃないか」

……ゲニウス(北)がお送りする、北海道を中心とした旅行・鉄道情報サイトです。

  1. トップページ >
  2. 乗り鉄な旅行記 >
  3. 東北リベンジ~旅は、何かを変える~ >
  4. 青葉城

東北リベンジ~旅は、何かを変える~(平成27年2月11~16日)

2日目(平成27.2.12) 3/5ページ「青葉城」

青葉城へ

仙台の観光名所と言えば、青葉城。駅前から市営バスに乗って行きます。東西線ができていたら、迷わず地下鉄で行くんですが、まあ開通していないものは仕方ありません。

駅前のロータリーは人で賑わっていました。ここからも仙台の公共交通におけるバスの重要性が見えてきますね。さて、ボクは11番のりばからバスに乗ります。

乗ったのは、仙台の西部を時計回りに走るバスです。バスは駅前を発車し、しばらくすると丘めいた地形の地域に。急勾配の中を縫うように走るので、「この先カーブが連続するのでご注意ください」という旨の自動アナウンスが複数箇所でされました。

バスに揺られること、約25分。「仙台城跡南」バス停で下車。……この停留所、180°ヘアピンカーブの直前にあるんですよ。さらに、青葉城に行くには横断歩道すらない道路を渡る必要が。左右どちらから来る車も視界がとれていないという状況での横断なので、慎重に慎重を期して渡りました。

少し坂を登っていくと、鳥居があります。鳥居をくぐると、いよいよ青葉城です。

青葉城見物

それでは、青葉城観光開始。まずはまっすぐ行くと見えた護国神社へ。なんとなく、参拝しておいた方がいいと思ったので。なおこの時は護国神社だと思わずに参拝していました。

護国神社に関する論争はここでは無しの方向で。そのうち「独り言」ででも自分の考えを書くかもしれませんが、とりあえずここでは争わない方向でお願いします。

さて、次は政宗公にお会いします。神社の向かいにある、馬に乗った伊達政宗の銅像は、あまりにも有名。表情は実に勇ましく、まさに勇将という感じの銅像です。

……が、この後青葉城を一通り見て回って、これは政宗の顔のひとつに過ぎない、と理解しました。

銅像のある場所からは仙台の街並みや西の山を見渡せます。高層ビル群と広瀬川のマッチングが絶妙です。

それ以上にポイントなのが、石垣。青葉城の造形美は石垣にあるといい、上方にも負けない技術を駆使して造られたそうです。近現代に修復されており、原型を留めている石垣は少ないようですが。

石垣と言えば、震災で石垣が崩れ、道路が依然車両通行止めになっていました。ちょうどこのページの初版を作成している頃に、道路は復旧しています。

また、銅像付近も工事中でした。しゃーない。

さらに、ここには土井晩翠が作詞した楽曲「荒城の月」の歌碑があります。かつては栄華を誇った青葉城も、今では石垣を残すのみ。無常なり。

さて、早朝から動き続けて少し疲れたので、ここで休憩。

テーブルと椅子が置いてある休憩スペースがあり、そこから小さな赤い橋が見える。こう言えば、水曜どうでしょうファンの方はビビッと来るのではないでしょうか。そうです、今いるのは「対決列島」宮城決戦場に限りなく近い場所です。

この橋を見ながら、番組と同様にずんだもちを食べるというわけです。

今回食べるのは、華匠三全さんの「ずんだ餅 ぷち」という、ミニサイズの餅がカップに入ったものです。

早速、餅を口に運びます。

「お~ぅほっほっほっほ( ^ω^)」

思わず声が出る。大泉さんのリアクションと丸かぶりで恐縮なんですが、食べたい食べたいと思っていたのに、いざ食べると声が出る。そして、口からなくならない。やはり北海道の人間には、この味はスッと受け入れがたいのでしょうか。いや、出身地は関係ないか。

しかし、餅のサイズの小ささに救われました。ある程度噛めば自然と飲み込めました。嫌になることなく、ずんだも残さずおいしくいただくことができました。そういう意味で、今回買ったずんだもちは、食べたことのない人向けということなんでしょうね。

そうそう、ここでお土産用の萩の月も買いました。

休憩も済んだところで、見学を再開します。今度は資料展示館を訪問。

資料展示館は、伊達氏やその家臣などの甲冑・調度・文書など、それに在りし日の青葉城やその周辺の模型が展示されています。

展示の説明書きが特に指摘していたのは、政宗が実はかなりの文化人でもあり、それゆえに江戸幕府と友好関係を保ちつつ一族や仙台の町を発展させることができた、という点です。

先ほどの銅像の勇ましい姿から想像できる通り、政宗は戦国時代こそ勇将として名を馳せました。しかし、江戸時代になるとむしろ文化人としての顔を表に出し、時代の移り変わりに対応して幕府とうまくやっていったのです。

「鄙の華人」と呼ばれた政宗の立ち回りから、人生のヒントを得ることができるかもしれませんね。

で、この資料展示館にはシアターがございまして、青葉城を3DCGで再現した映像を見ることができます。

その映像ですが、なんとCV若本。

若本ボイスと、若本氏担当以外のキャラの台詞の適当さが、なんともいえない感じでした。非常にためになる映像だったことは確かです。

資料展示館を出ると、お土産コーナーに出ます。いろいろ物色していると……、建物内に平成の世に似合わぬいでたちの武士が立っているではありませんか。

彼らは「伊達武将隊」。おもてなし集団として活動しているようです。

武将隊の一人に挨拶されたのですが、「何だこいつら」と怪訝に思ってしまって、ろくに返事返してません。ごめんなさい……。

牛タンが食べられない

では、青葉城を後にします。再びバスに乗り、仙台駅方面に戻ります。バスの時間が迫っていたので、急いでバス停へ。道路に出たときにはバスが視界に入っていて、思わずバスの前を横断してしまいました。もうしないから許して……。

乗ったバスは先ほどと同じ系統。時計回りの循環便なので、先ほどとは違うルートで仙台駅方面へ。東北大学の前を通ります。あまりいい気分はしません。

お次は、広瀬川を渡ります。橋の名前はストレートに「大橋」。景色がよく、降りてゆっくり見たかったのですが、時間がないので車窓のみの観光。

そこからしばらく市街地を走り、「晩翠草堂前」バス停で下車。

晩翠草堂というのは、先ほど少し話題にした「荒城の月」の作詞者である土井晩翠が晩年を過ごした家です。

そう言えば北海道南幌町に晩翠という地名がありますね。

晩翠草堂前のバス停で降りたのは、これが主目的ではありません。なので、晩翠草堂は外観を少し見ただけです。

メインの目的は、食事です。時間はちょうどお昼頃。仙台のグルメと言ったら、何と言っても牛タン。こればかりは外せません。

というワケで、バス停から(確か)10分くらい歩いたところにあるお店、「一隆」さんへ。

……………………

大行列。

30分待っても入れる気配もなく、やむなくこの店で牛タンを食べるのは断念しました。既にほかの店に行く時間もなく、「仙台のお店で牛タンを食べる」という目論見は崩れ去りました。

仕方がないので、お昼ご飯は後回し。とりあえず、駅へ向かうことに。

宿に預けていた荷物を取りに行ったり、郵便局で風景印を授かったりしつつ、仙台駅へ戻りました。

「乗り鉄な旅行記」のトップに戻る

当サイトトップページに戻る