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道東横断~グルメ時代を旅する~(平成27年8月23~27日)

5日目(平成27.8.27) 2/5ページ「様似観光」

列車の来ない様似駅にて

というわけで、様似に到着。駅前には長期休止中の日高本線の代行バスが停まっており、発車時刻が迫っています。ですが、それには乗らず、午前中は様似を観光します。

代行バスが走り去った後の様似駅は、閑散としていました。列車の来ない様似駅、しかし、駅窓口と、併設の観光案内所には人がいました。

ここで、このあとの準備などいろいろと行動します。まず、この日はJR(含む代行バス)を使うので、様似駅で青春18きっぷの日付を入れてもらいました。これで5日すべての日付欄が埋まりました。

続いて、観光案内所で地元のお菓子を買って、手持ちの食料と合わせて軽食をとります。さすがに出発前のトーストだけでは足りませんからね。

買ったのは、「桃果 アポイ」。桃果は「とうか」でしょうか、「ももか」でしょうか。名前の読みはともかく、様似のウリのひとつであるアポイ岳の名を冠した、様似の菓子店「梅屋」さんのお菓子です。梅屋というと文字通りの形で知られる「尻餅」がありますが、予算と食欲と、あと動画版作ってる関係で他の動画とカブりたくなかったのを考えてやめておきました。

ほんのりと桃のかほりがする、奥ゆかしいひと品でした。とりあえずこの後の行動に問題がないくらいに腹がふくれたところで、動き始めます。

では観光……の前に、9時を待って、付近の郵便局に風景印を授かりにいきます。ここで移動前に、半袖にチェンジ。ウィンドブレーカーはすでに脱いでいましたが、霧もなく、長袖でも暑いくらいでした。

風景印を無事もらったところで、観光開始。隣の西様似駅まで徒歩で移動しつつ、周辺の観光をしていきます。

エンルム岬

では様似観光です。基本的に海岸沿いを西へ歩いていきます。

まず向かうは、エンルム岬。すでにこの時点で見えていますが、突端が丘みたくなっている変わった形の岬です。

丘の頂上に上れば、今回の行程と一部カブっている「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 第20弾」で、先ほどの様似の観光案内所の方が「えりも岬よりいい」と太鼓判を押していた町自慢の景色が拝めます。

当然ヒルクライムです。急な坂を上がり、その後は展望スポットまで続く階段を上がります。といっても、そこまで高くないので、スタミナに自信があるボクは別段疲れも見せず登り切りました。

登る途中にもきれいな海岸の風景を楽しむことができましたが、上まで行くとさらなる絶景が。

エンルム岬からは、海の方角はあまり見えません。でも、反対の陸側の景色がいいんです。独特の海岸線、美しい砂浜、整然と続く街並みに、その奥には日高山脈。ぐるっと見渡すと気持ちいい風景です。正直、ボクもえりも岬と勝負できる景色だと感じました。

しばし景色を独り占めし、引き返します。

周辺には、「シャマニ会所跡」が。様似は実は北海道の中では歴史のある町で、明治には海上交通路の重要な拠点となっており、それ以前、江戸時代には和人とアイヌ人が交易する(という体でおそらくは和人がアイヌ人を搾取・使役する)会所が開かれていました。会所跡は碑と看板が立つのみでしたが、かつての様似を想像するには十分。

今回の旅は、図らずもアイヌに関わるものが多いです。3日目にはクナシリ・メナシの戦いの場所を通り、この日はここの他にもアイヌ関連のものを見る機会に恵まれました。後日北海道博物館を訪れて、知識を確かなものにしました。やはり道民はアイヌを知っておくべきだと、この旅行時も、そして今も思っています。

様似の歴史に触れる

というわけでまだまだ続く歴史のターン。次に向かうは、様似郷土館。開館の10時を待って入場。

北海道にも、内地ほどではありませんが、和人の歴史があります。歴史のある様似の資料館ということで、結構充実した展示がありました。

町の歴史を中心に、古代から昭和までの幅広い時代の品があり、動物関連の展示も。いろいろな切り口からかつての町に思いを馳せることができます。

印象に残ったのはふたつ。まず、町に関する言い伝えをまとめた絵本です。

開削に苦労した道路の話や、このあと見る奇岩にまつわる話など。歴史のある町ならではだなぁ、と考えました。そういった昔話が、数々の展示や町の歴史に味を加えています。

もう一つ、アイヌ関連の展示です。町で発見された、皿や調度品などが展示されています。独特の文様や色彩も、また味があります。かつては、たくさんのアイヌが道内で暮らしていました。

室内でハチに追い回されたりしつつも、様似の歴史を堪能しました。

お次は、等樹院(とうじゅいん……樹は正しくはサンズイ)。ここからは、4年前に日高本線に乗りに来たときにも歩いたところを歩きます。あのころは、まだ今のような旅の信念を持っておらず、鉄道移動以外は旅慣れしていませんでした。あれから4年、ボクは変わったなぁ。そんなことを思いながら歩いていました。

看板に従って等樹院へ。4年前はたどりつけていなかったようです、ちゃんと探せば看板があったのに。ある意味リベンジです。

この等樹院には、護摩堂という古い建物が残っています。かつての歴史を伝える建物は、それしか残っていません。これが残念なところで、先ほどの郷土館の資料と護摩堂くらいでしか、昔を知ったり想像したりできません。

4年越しの親子岩

再び移動開始。引き続き海岸沿いを歩きます。

4年前に訪れたときは、霧で海の景色は楽しめませんでした。今回は、天気こそ曇天で時折雨もパラつくなどあまりよくはありませんでしたが、霧はなく、しっかりと海の景色を楽しめる状態でした。

途中にはソビラ岩という奇岩があります。その付近の海上には大小3つの岩が見え、親子岩と呼ばれています。先ほど資料館で読んだ言い伝えにも、これらの岩がセットで出てきます。

4年前は霧で見えなかった親子岩を、今回は眺めることができました。波が岩に当たってきらめく様は、4年越しのお目見えということもあって、ことのほか美しく感じました。

付近は海水浴場になっており、すでに8月下旬とあってか閉鎖されていました。

さあ、様似観光はもう少し続きますよ。

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