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札幌~函館間 歴史 第5章 振り子特急、発進 / 北の特急(+α)図鑑

飛行機・高速道路との闘い

昭和62年4月1日。国鉄分割・民営化により、北海道旅客鉄道株式会社(以下、JR北海道)が誕生しました。

JR北海道がまず取り組まなければならないことは2つ。札幌近郊の通勤・通学輸送の強化と、飛行機や高速道路といったライバルと闘うための競争力アップでした。

飛行機や高速バス、自家用車からシェアを奪うには、快適さなども重要ですが、何よりもスピードが求められます。そのため、JR北海道は札幌と道内各都市を結ぶ特急列車のテコ入れを行いました。


昭和59年3月に、北都交通が札幌~函館間の夜行バス「オーロラ号」を運行開始。業界他社から採算性を疑問視されましたが、どこ吹く風ぞと大盛況。さらに平成5年4月からは北海道中央バス・道南バスが共同で札幌~函館間の高速バス「オーシャンドリーム号」を運行、北都交通も昼行便に参入しました。

また、札幌(丘珠もしくは千歳)~函館間の飛行機も、飛行機の大衆化によって鉄道にとっての脅威となっていきました。

一方の鉄道も、北海道の都市間鉄道の中で重要な位置を占める札幌~函館間でのシェアを守り高めるために、国鉄末期のころから高速化が図られていました。

昭和55年に特急おおぞらにキハ183系が登場。北斗はそれ以降もしばらくはキハ80系が使われていましたが、昭和58年にキハ183系が1往復で使用を開始、昭和60年には5往復中、季節列車を除く4往復すべてがキハ183系での運行となりました。

昭和61年3月3日の改正では、特急おおぞら7号の函館~札幌間の所要時間が3時間56分となり、史上初めて4時間を切りました。

図1:キハ183系(N183系)の特急北斗(画像出典:裏辺研究所 様)

昭和61年11月1日の「国鉄最後の全国ダイヤ改正」では、キハ183系500番台(N183系)が運行を開始しました。それまで製造されていたキハ183系基本番台とは仕様が大きく異なり、従来よりも馬力の大きいエンジン(出力は先頭車が250PS、中間車が550PS)と軽い車体によって、最高速度110km/hを実現したばかりでなく、将来的にさらなる最高速度アップを図ることも可能にしました。グリーン車はハイデッカーとなり、北海道の美しい景色を高い位置から見渡すことができる仕様としました。

同時に、カーブや分岐器の通過速度アップによって、沼ノ端~苫小牧間・幌別~東室蘭間で最高速度120km/h、野田生~長万部間で最高速度110km/hでの走行が可能になりました。キハ183系基本番台も、エンジン出力向上(キハ183・184形220PS→250PS、キハ182形440PS→500PS)とブレーキ強化の改造によって最高速度が100km/hから110km/hに上がり、これで北斗のスピードアップが可能となりました。

この改正では、北斗1号が所要時間3時間47分となり、表定速度84.2km/hを叩きだして国鉄気動車最速の座を手に入れました。速度向上・線路改良もさることながら、途中停車駅を千歳空港・東室蘭・長万部のわずか3駅に絞ったことも、ラップタイム短縮の秘訣でした。


JR北海道発足後の平成元年3月1日の「一本列島」のダイヤ改正では、青函トンネルの開業が目玉ですが、北斗にも変化がありました。

青函連絡船の廃止に伴って、連絡船との接続を考慮する必要が全く無くなったことから、今まで早朝4時代に発車していた北斗1号の時刻は7時台に繰り下げられました。そして、この北斗1号の所要時間が3時間29分となり、ついに所要3時間台前半が実現しました。

これを可能にしたのが、線路面・車両面両面からの性能向上です。

まず、線路の改良。苫小牧~幌別間・東室蘭~長万部間で120km/h運転ができるようになりました。次に、新たにキハ183系550番台(NN183系)が登場しました。500番台よりも強力なエンジン(先頭車330PS、中間車660PS)を積んでおり、最高速度が120km/hにアップしたほか、やはり後々のさらなる速度向上が可能となりました。加えて、N183系も最高速度120km/hになりました。

ところで、キハ183系の120km/h運転には、ある障害がありました。それは、ブレーキです。キハ183系は従来車と同じく自動空気ブレーキを採用していたため、ブレーキに不安がありました。

当時の規則では、最高速度からブレーキをかけて、必ず600m以内に停止できなければならない、といういわゆる「600m条項」がありました(現在は規則が撤廃されましたが、JR各社は自主的に守っているらしいです)。ブレーキをかけてきちんと停止することは、高速運転の絶対条件なんです。

そこで、550番台にはダイナミックブレーキという機構を設け、500番台もダイナミックブレーキを使えるよう改造がされました。

ダイナミックブレーキは、簡単に言うとエンジンブレーキなどを利用するものです。これを空気ブレーキと組み合わせることで、ブレーキの効きを改善しました。

また、ブレーキの部品のひとつである制輪子も重要でした。JR北海道苗穂工場はこの制輪子の製造を得意としており、高速運転をしつつブレーキを効かせるために高速列車向けの特殊鋳鉄制輪子をこしらえました。制輪子もまた、120km/h運転を可能にした技術のひとつです。

さらに平成3年には、野田生~函館間の最高速度が120km/hにアップし、全区間で高速運転が可能となりました。これにより、北斗1号は札幌~函館間の所要時間を変えることなく登別駅に停車することができるようになり、観光に便利になりました。

同年、新千歳空港駅が開業し、空港アクセスは快速「エアポート」が主に担うこととなったため、北斗は空港アクセスの任を解かれ、札幌~函館間などの都市間輸送に集中できるようになりました。


JR発足の前後に、札幌~函館間の所要時間を合計で30分以上短縮した北斗。しかしJRは、最大のライバルである丘珠・千歳~函館間の飛行機に勝つには、さらに革命的なスピードアップが必要であると考えていました。

「スーパー北斗」登場

平成6年3月1日。この日、札幌~函館間の特急に、新たな時代が到来しました。

特急「スーパー北斗」誕生。新形式の車両であるキハ281系で運行されるこの列車は、札幌~函館間最速2時間59分というタイムを叩き出しました。国鉄時代からは考えられないような圧倒的な速さを、北斗は手に入れました。


図2:キハ281系試作車編成。「HEAT」は"Hokkaido Experimental Advanced Train"の意。「HEAT」の称号はその後、「E」が"Express"のEに変わり、平成14年には789系基本番台に受け継がれます(画像出典:JS3VXWの鉄道管理局 様)

キハ281系の開発の裏には、JR北海道の技術者たちの大変な苦労がありました。

北斗が走る区間には、スピードアップの足かせとなる急カーブがありました。特に駒ヶ岳山麓を縫うように走る森~大沼公園間は、きついカーブの連続で、勾配もあって速度は全然上がりませんでした。

そこで、北斗のスピードアップのため、最高速度を130km/hに向上するほか、車体をカーブの内側に傾けてカーブの通過速度を上げる車体傾斜式車両(振り子車両)を開発することとなりました。

振り子装置は、国鉄時代に381系電車が初めて自然振り子を採用。その後、乗り心地が改善した制御付き自然振り子が登場。平成2年には、JR四国が2000系で振り子を実用し、気動車の振り子車両が実現しました。

JR北海道は、このJR四国2000系の振り子装置をベースとして、北海道向けの振り子気動車を製作することとしました。しかし、JR四国側からは、北海道には四国と違って雪があることを懸念していました。

冬季試験の結果は、案の定失敗。内地の技術をそのまま北海道に持ってきては、北海道の厳しい冬に勝つことはできませんでした。

さらに問題が発生。踏切事故で運転士が重傷を負うという事態を受け、車両の運転台を高くすることを決めました。開発の途中での設計変更であり、変更は困難でした。しかも、振り子車両は重心を低くしなければならないところ、運転台が高いと重心も高くなってしまいます。さらに、運転台の設計の関係で、先頭車の定員が8名も減ってしまうという問題も起こりました。

多くの課題に直面した振り子車両。それでも、柿沼博彦氏を中心とする開発チームは、果敢に困難に挑みました。

運転台問題については、まず自社で「アルファコンチネンタルエクスプレス」に始まるリゾート列車を設計した経験を生かして自社設計することで、急な設計変更を可能にしました。重心の問題は、振り子装置や重心自体以外のところに焦点を当てることで解決。定員も、先頭部分のドアを乗客と乗務員が共用するという常識破りのアイデアで、4人の減少に抑えました。

振り子は、従来の「コロ式」から、新たに開発された「リニアガイド式」に変更。雪が入り込まない仕組みを使って、雪に立ち向かうこととしました。

しかし、それでもなお、振り子が動かなくなるトラブルが発生。リニアガイド式はベアリングという部品を使いますが、その内部の空気が結露して水分が凍りつき、ベアリングが動かなくなったのです。

この問題に対して出された答えは、潤滑油でベアリングの内部を満たすという、まさに「非常識」の発想でした。空気がなければ、結露も起こりません。潤滑油は劣化を防ぐために最小限にするという常識を、「振り子程度の動きではそれほど問題はない」という理論で打ち破り、ついに北海道向けの振り子が完成したのです。

出力355PSのエンジン2基、最高速度130km/h、速度種別特通気A40、20‰の上り勾配でも95km/hで走行可能。最大振り子傾斜角5°、曲線通過速度は本則プラス20km/h(曲線半径400m未満)~30km/h(同600m以上)。日本トップクラスの性能を持つ強力気動車・キハ281系は、こうして生まれました。


スーパー北斗は、1日5往復(7両編成)でスタート。北斗6往復と合わせて、11往復体制となりました。

スーパー北斗2・19号は、札幌~函館間の所要時間2時間59分を達成。最高速度130km/hや振り子に加え、停車駅を19号は東室蘭・苫小牧だけ、2号は東室蘭ひと駅だけと徹底的に絞り込み、2時間台という驚異のスピードで飛行機に立ち向かいました。2・19号の表定速度は、106.8km/h。現在に至るまで、日本の在来線の至上最高記録であり続けています。

所要2時間59分を実現するためには、車両以外にも改良が必要でした。最高速度を引き上げるための軌道工事のほか、振り子特急が高速で通過できて、かつ普通列車が低速で来ても問題ない角度にカント(カーブ部分の線路の傾き)を調整しました。また、分岐器の通過速度向上なども行いました。

スーパー北斗・北斗は、ダイヤにも様々な工夫が凝らされています。速達便のスーパー北斗2・19号は、札幌から函館に日帰りできるように設定。また、飛行機の時間にぶつけるようにスーパー北斗を設定し、飛行機と真っ向から勝負。登別や洞爺といった観光地への利便性も考慮されました。

なお、このダイヤ改正と同時に、北斗も一部が130km/h運転を開始。NN183系がブレーキの強化、N183系のグリーン車の一部はブレーキ強化のほかにエンジン交換(550PS→660PS)の改造を受けて、それぞれ最高速度を130km/hにアップしました。スーパー北斗に比べて見劣りするものの、最速3時間26分というなかなかの好タイムを記録。ただし、北斗全列車が6両編成に短縮されました。

キハ183・281系などによる、北海道での130km/h運転の実現には、苗穂工場の技術が欠かせませんでした。厳しい冬でもこの規則を守るため、苗穂工場はまたしても鋳鉄制輪子を進化させ、確実なブレーキ性能を実現したのです。


スーパー北斗には、平成10年にキハ283系が投入されました。キハ283系は平成9年にデビューした、札幌~釧路間特急「スーパーおおぞら」向けの車両で、キハ281系をベースにさらなる高速性能アップが図られています。地盤の緩い根室本線でキハ281系と同じ曲線通過速度を実現したほか、「スーパー北斗」ではさらにプラス10km/h、つまり最大本則プラス40km/hでカーブを通過可能という恐るべきスペックを誇ります。

キハ283系の登場により、4月11日に1往復、12月8日にもう1往復のスーパー北斗が増便。そのぶん北斗が減ったため、全体の本数は変わっていません。また、12月改正で北斗は5両編成に短縮されました(スーパー北斗は7両のまま)。

車両以外の面でも改良が進みます。平成4年7月から新札幌~東室蘭間で自動列車進路制御装置(PRC)の使用が開始。分岐器の操作を自動化・スマート化することで、列車の高速化だけでなく、作業の安全性向上にも成功しました。

図3:函館駅の新駅舎

平成15年には、函館駅の新駅舎が開業。姉妹鉄道である、デザインを得意とするデンマーク国鉄との共同で造られた新たな駅舎は、新たな北の玄関口に相応しい洗練ぶりです。デンマーク国鉄とは、鉄道そのものだけでなく、その背景の地域色にも共通点があることから、平成2年に姉妹鉄道となっていました。

一方、スーパー北斗の停車駅は年々増えていきます。

平成8年3月から、速達便(上下とも)の停車駅が南千歳(平成4年に千歳空港から改称)・苫小牧・東室蘭の3駅に。快速エアポートと乗り換えが可能となりました。札幌~函館間の所要時間は変わらず。

平成12年3月からは全列車が新札幌に停車するようになり、札幌市営地下鉄東西線との乗り換えができるようになりました。その代償として、最短所要時間が3時間となり、1分延びてしまいました。それでも、表定速度は現在の特急「サンダーバード」の大阪~金沢間に肉薄する106.2km/hでした。

JR時代の顔ぶれ

こうして、札幌~函館間の優等列車はスーパー北斗・北斗という2枚看板の時代を迎えました。

この区間には他にも、色とりどりの特急・急行列車が走るようになりました。

まず、札幌~東室蘭間でスーパー北斗・北斗と運行区間が被るL特急「すずらん」。この列車については、別の機会に。

続いて、寝台特急「北斗星」。上野~札幌間を結ぶ列車で、青函トンネル開業とともにデビューしました。

連絡船を介して北海道の特急と接続していた寝台特急ゆうづるが消え、はくつるがその勢力を縮める中、「走る豪華ホテル」というコンセプトで登場した、新たなスタイルの列車です。かつての「移動手段としての寝台特急」から後のクルーズトレインへと寝台列車が姿を変えてゆく、その過渡期の列車といえるでしょう。

当初の北斗星は、下り列車の函館~札幌間は立席特急券だけでB寝台を座席として利用できる、いわゆる「ヒルネ利用」ができました。これによって北斗を補佐していたのです。その後ヒルネ利用ができる列車・区間は縮小されていき、やがて廃止されました。

もうひとつ、急行「はまなす」も青函トンネルと同時に誕生しました。夜行バスが結んでいない(というか結びようがない)札幌と青森を直接結んでいたため、夏・冬・春休みを中心に好評を博しました。また、特急や新幹線から乗り継げば東京方面からも利用可能でした。東京にとっても、札幌に早朝に着け、深夜まで札幌にいられるという他にない列車でした。平成14年冬からは「北海道&東日本パス」でも利用可能となり、普通列車旅行客にも重用されました。

北斗星・はまなすに遅れること4か月、昭和63年7月に快速「ミッドナイト」が札幌~函館間に登場しました。国鉄時代に存在した札幌~函館間の夜行普通列車が消滅した後、同区間に新たに設定されたものです。青春18きっぷ利用者に重宝されていましたが、平成14年12月、東北新幹線八戸延伸・「スーパー白鳥」デビューの陰で廃止されました。

……え? カシオペア? トワイライト? 知らない子ですね。

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