北海道新幹線いまさら初乗車レポ
記事公開:令和元年9月15日
「『北海道新幹線には乗らない』と約束したな。」
「あれは嘘だ。」
平成26年11月30日。当サイトの前身「ゲニウス(北)のA列車3Dと乗り鉄でいいじゃないか」は、北海道新幹線の札幌延伸に断固として反対することを表明する記事を公開。その中で、「北海道新幹線には乗らない」と公約しました。
当該記事は、管理人であるボクがある程度鉄道知識を付けた後に全面改稿を行い、その他にも何度か修正をしましたが、「断固反対」という基本線は変わっていませんでした。当然、「乗らない」という意思も、取り下げるつもりはありませんでした。
では――
これは、一体なんでしょう。
写真に映っているきっぷの所有者は、他ならぬボクです。きっぷの券面には、「新幹線特急券 東京→新函館北斗」と書かれています。
これはつまり、ボクが明確な公約違反を犯したことを証明しています。
ボクはあれほど強硬に「北海道新幹線を使う気がない」と明言しておきながら、あろうことかその北海道新幹線に、しかも東京~新函館間を通しで、乗車したということです。
釈明
……いやあの、違うんです。その……
話を、話を聞いてください。ちゃんと釈明します。
結論から言うと、ボクは「自分から乗った」というよりは、「乗らざるを得なくなった」んです。
わけを話します。ちょっと説明が長くなってしまうので、釈明なんていいから先を読みたい方はこちらから飛んでください。
まず東京に行った理由ですが、観光ではありません。急な用事ができてしまい、自分含め4人のメンバーで東京に行く必要ができたんです。
往路はオーソドックスに新千歳空港から飛行機で東京に向かい(空港まではもちろんJRを使いました)、用事を済ませました。
ここで大きな問題が発生しました。先ほどお見せしたきっぷに記載の乗車日、ご覧になりましたか? 平成30年8月27日です。
問題点その1は、猛暑です。この年の首都圏は、最高気温38℃以上の日が何日も続く、近年でもまれに見るほどの酷暑でした。暑さに弱い軟弱な札幌市民であるボクらが、焼けるような東京の空の下で長時間活動することは危険です。メンバーの中には、まだ体ができあがっていない中学生や、体温調整機能が衰えた高齢者もおり、なおのこと無茶が効かない状況でした。
問題点その2は、時期が時期なので、飛行機のチケットがとりにくいことでした。用事の性質上、どうしても復路の日程を固定できなかったため、帰りの空の便を早めにとっておくことができませんでした。
帰りの行程を組む作業に着手したのは、現地に着いて用事が一段落した、26日の晩でした。この時点で、羽田発・新千歳行きの飛行機は、27日午前はすべて満席。午後は空いていましたが、高い正規運賃がかかる一方、札幌に帰れるのは夕方。飛行機に乗ったからといって、早く帰れるわけではない状況でした。
また、帰路のスタート地点が五反田なので、途中の品川での乗り換えが発生。午後の飛行機に乗るとすれば、一番暑い時間帯に品川で外に出る必要があります。それがイヤなら早く空港に行くことになりますが、それはそれで混雑する空港で時間をつぶすことになります。立ちっぱなしの時間が発生する可能性などがあり、高齢者を連れた行動である以上リスクがある選択肢でした。
成田発・新千歳行きのLCCも検討してみました。一度ジェットスターで成田から帰ったことがあるので、それをやろうかと思ったのですが、今回の場合はこれもハイリスクな選択肢でした。
というのは、LCCが発着する第三ターミナルの出発ロビーには、冷房がないんです。この猛暑で、成田第三ターミナルで、高齢者を連れて飛行機待ちをするのは、自殺行為です。
徒歩移動の距離が長いのも、成田に行きたくないと考えた材料でした。
そこで白羽の矢が立ったのが、新幹線です。1往復を除いては札幌まで8時間以上かかりますが、午前中のうちにさっさと新幹線に乗ってしまえば、その後は猛暑の心配は要らなくなります。乗り換えもそこまで苦にはなりません。
また、羽田午後発の飛行機と比べても、札幌到着はせいぜい数時間しか変わりません。札幌到着後にやることも特にないので、どうせ夕方以降の到着になるなら、2時間程度遅くてもたいした差はありません。むしろ、4人合計で2万円以上も交通費が浮く方が、大きなメリットでした。
また、指定席を抑えれば乗車中は座っていられるので、用事をこなしたのと猛暑とで疲れがたまっている中で羽田で立ちっぱなし、という状況を回避できます。
まとめると、「8月下旬で空の便が混雑」「記録的猛暑」「高齢者がいるなどの理由で無茶ができない」という条件下において、北海道新幹線がもっとも合理的な選択肢になったのです。
選択をミスすると命にかかわるおそれもある状況において、強情を張るのもアホらしいと思い、ボクは自分の信念を曲げ、新幹線をセレクトしました。
まさか、東京~札幌間の移動において、新幹線が自分にとって最も合理的な手段になる場面がやって来るなんて、新幹線に乗らないと宣言した当時のボクは思いもしませんでした。(少なくとも現時点では)穀潰しの北海道新幹線も、まったく使いでがないシロモノではありませんでした。
とはいえ、公約違反を犯したことは事実です。その点に関しては弁解の余地はなく、真摯にお詫びする次第であります。
いまさら初乗車レポ
せっかく乗車したので、その時の話もしようと思います。
なお、乗車したのが平成30年夏、公開が令和元年の秋と、1年以上経過、しかも元号をまたぐ大遅延となってしまったことをお詫び申し上げます。すべては胆振東部地震が悪い……。
東京駅へ
平成30年8月27日、午前9時ころ。宿泊した宿に置いてあった弦巻マキ pepperくんに見送られて、復路の移動スタート。奇しくも本記事を執筆した9月15日はマキマキの誕生日。おめっとさん。持ってないけど。
まずはスタート地点の五反田駅へ。駅に着いたら、指定席券売機を操作して、前夜にえきねっとで予約したチケットを入手。乗車券、特急券×2、それが人数分、さらにクレジットカード利用票。合計13枚の紙が出てきました。
山手線内回りに乗車。車両は未来の日本の顔・E235系。これが初乗車でした。
車内に大量のLCDが付いた車内で、完全にお上りさんモードになっちゃう4人。ただ、INTEROSがまだ未完成なのか、2日前に乗ったE231系運用の列車よりもブレーキ込め直しが多かったのが気になりました。
というかE235系もE231系もそうなんですが、モーターの音にすっごい聞き覚えがあるんです。何でかと思ったら、「電車でGO!!」(20周年記念のアーケード最新版)で何度も聴いてたからです。アレすごい再現度だったんだなあ。
(余談ですが、約1年後に映画「天気の子」を見た際、鉄道趣味者向けでもないのに、それと同レベルでモーター音が再現されていて、新海誠氏の化け物ぶりを実感することになりました。)
品川で大量降車があり、東京までは着席移動。JR東らしい固めの、でも人間工学がちゃんと考えられた座席を堪能。
東京駅では乗り換えの合間にお土産などを調達。そして、いざ新幹線ホームへ。
はやぶさ15号
東京10時20分発のはやぶさ15号。これが、ボクにとって初の北海道新幹線乗車となります。
本当は速く移動したいから、はやぶさ5号とスーパー北斗11号を乗り継ぎたかったのですが、残念ながらはやぶさ5号は満席でした。はやぶさ11号も速いですが、こちらも満席。加えて、この日ははやぶさ7号の延長運転および北斗91号の運行は無し。はやぶさ1号はかなり早い時間なので、他のメンバーから反対されました。仕方なく、後続のはやぶさ15号を押さえたわけです。
15~20分前に、ホームに移動。数分間は炎天下の中で列車待ちとなりますが、これは仕方なし。まだ10時すぎなので、一番暑い時間帯でもないので、まあなんとか、と言う感じ。
しばらく待っていると、ボクにとっては見慣れた、しかし他のメンバーにとっては初めての、E5系が入線。ウワサの超スピード車内整備が終わってから、乗車。
直前の予約なので、窓側は取れず、B・C席に着席。せっかくの全区間乗車ですが、まあ用務での利用ですし、ゼイタクは言えませんな。
列車は定刻に東京を発車、一路北の大地を目指します。大宮まではゆっくり移動。それでもけっこう感じる遠心力。この区間が130km/hまでしかスピードアップできない理由を、身を持って体感。
宇都宮を過ぎるといよいよ320km/h運転。それでも飛行機よりはるかに揺れが小さく、シートピッチも広いので、ゆったり過ごせます。
ただ、ボクの隣の窓側席に座ったビジネスパーソンがそうとう忙しい人のようで、電話がかかってきては急いで席を立って、デッキに向かいました。このせいで、そこまでゆったり過ごせはしませんでした。席にいる時もPCですごい勢いで作業していたので、その手付きを見てExcelの操作技術を盗むことで、代金は回収。やっぱ東京のビジネスパーソンは優秀な人多いのかなあ。
盛岡まではほとんど満席。当時は弁当なども取り扱っていた車内販売も大盛況のようで、なかなか回って来ません。他のメンバーは車内販売の駅弁を、ボクはスイーツを食べるつもりだったので、やきもきして待っていました。最終的に買いたいものは買えたのでよかったですが、途中で売り切れたらどうしようかと……。
で、そうしてせっかく車販のメニューを実食して、当サイトにも掲載したのに、取り扱いが終了してしまいまして……。まあ、仕方ありません。
仙台では発車メロディを聴きにデッキに行ったり、盛岡ではこまちとの切り離しを見にいったりと楽しみつつ、北へ。この日は宮城県までが超酷暑、岩手県以北はそこまで暑くはなかったので、仙台~盛岡間でどんどん室温が下がっていきました。冷房の効き加減は変わらなかったので、涼しさを喜ぶよりも、温度変化への体の対応がががが。
車内は盛岡まではけっこうな乗車率でしたが、八戸で(先述のビジネスパーソン含め)大量に降車があり、そこからは空席だらけの車内で広々ゆったり。
新青森で乗務員交替のため少々長めに停まった後、いよいよ北海道新幹線区間に突入です。
新青森からはJR北海道の乗務員が担当します。東北新幹線区間はふつうの新幹線という雰囲気でしたが、乗務員交替後は車掌の肉声放送に、観光を意識した言い回しが入り、雰囲気がけっこう変わります。まあ、新青森で乗ってくる人も少なく、車内は相変わらず空いていましたが……。
12時37分、新青森発車。口では新幹線を否定しつつ、心の中ではその瞬間を楽しみにしている自分が、そこにはいました。
隣が空いたので、ようやく見えるようになった車窓。とはいえ、ここまで来るとトンネルや防音壁で何も見えない区間も多いです。
はやぶさ15号は新青森以降各駅停車なので、スピード感はあまりありません。しかも、新中小国信号場からは140km/h制限がかかるので、なおさらです。
いまべつを過ぎ、しばらくすると青函トンネル突入。ボクにとって4年半ぶりのトンネルは、新幹線車両にとっては徐行に等しいスピードということで、すごく静かで、揺れも少なく快適でした。
暇な時間は、車内を見て回って消化。当サイトの「北の特急(+α)図鑑」コーナーの作成のための調べの意味合いもあります。
北海道上陸の瞬間は、メンバー全員を起こして迎えることに。とはいえ、これも防音壁に阻まれるので、在来線時代ほど楽しめるものではありませんでした。
木古内を出ると、終点はもうすぐ。何泊になるかわからないので大荷物になることが避けられず、荷棚には思い荷物がいくつも。慎重に下ろし、下車準備を進めます。
新函館にて
新函館北斗駅、新幹線12番ホーム。ここに来ることはないと思っていたのですが、こうして「利用者」として降り立つ日が来ちゃいました。
ものっそい涼しい。連日最高気温38℃の世界から、一気に20℃台の世界に来たので、ギャップがすごいことに。札幌はもっと涼しい予想で、半袖の4人は安心よりもむしろ心配をする必要にかられました(苦笑)。
車両の写真を少々撮ったら、上の階の待合室へ。
札幌へは、スーパー北斗15号に乗り換えて移動です。でも乗り換え時間が40分近くあるので、待ちぼうけです。スーパー北斗はあくまで札幌対道南の交通機関で、新幹線接続をそこまで強くは意識していません。また大沼~七飯間の単線の処理もあるので、ぜんぶの接続をピッタリにできないという事情もあるものと思います。
だからこそ、乗り換え時間の少ないはやぶさ5・7号が良かったんですが……。まあ、乗れないものを嘆いても仕方ありません。
スマホでも見るか、売店でまたお土産を漁るか、それくらいしかやることがありません。だらだらと過ごします。
適当な時間に、乗り換え改札へ。時間には余裕があるので、「2階の乗り換え改札を無視して11番ホームへ→空いているホーム階の自動改札を通過」という抜け道を使う必要は、特にありません。というか当時は知らんかった。
ホームではスーパー北斗15号の案内が流れていましたが、間違いを発見。当時のS北斗15号は車内販売がありましたが、「簡易車内販売しかない」と誤った放送が流れてました。これはマズイと思ったので、翌日落ち着いてから、電話にてやんわりと苦情を入れときました。JR北海道の発展を祈念してのことで、怒鳴ったり金品を要求したりはしてないのでご安心を。というかボクはそういうクレーム電話なんてしたことないっす。
スーパー北斗15号
しばらくすると、特急スーパー北斗15号が登場。長時間移動、再開です。
車両はキハ281系。当時は増結をほぼ全く実施していなかったので、所定どおり7両編成の列車はほとんど満席でした。やはり窓側は取れず、通路側、かつできるだけ4人が固まるように座席を取りました。
天気はまあまあ良く、大沼国定公園、そして内浦湾の景色が楽しめます。西日もあいまってフォトジェニック。所用なのでちゃんとしたカメラを持ってこなかったのが悔やまれます。
さて、新幹線で食事をあえて取らなかったボクは、ここで車内販売を呼び止めて弁当を購入。もう3時を過ぎているのに、ここまでガマンし続けたのは、もちろんJR北海道の車販を買い支える目的です。ムダなあがきでしたが。
ここで食べたのは、車販限定の函館駅の駅弁「山海いろごはん」。北海道の海の幸よくばりセットと言う感じの弁当です。そこまでパンチの効いた弁当ではないにせよ、全体的なクオリティの高さと安定感・安心感はさすが函館みかどというところ。
食後に食べるアイスも調達。月替わりのアイスも気になりましたが、まずは基本から、と思いバニラアイスを注文。「シンカンセンスゴクカタイアイス」とはまた違うやわらかな味わいがGood.
この2つも、当サイトでの紹介のための取材を兼ねた注文だったんですが……。
車内販売は大盛況で、この後東室蘭を過ぎてからおやつと夕食を注文しようとしたら、「食べ物系はぜんぶ売り切れ」と言われて、売れてることはJR北海道を応援する人間として喜ばしいのですが、自分が食えないのは悲しいもので、心の中で号泣。
ただでさえ所用で疲れていて、しかも4時間超えの移動の後にまた3時間以上の乗車なので、さすがに睡魔に抗えず、食後は長万部発車後あたりまで寝ていました。なぜか知らないんですけど、下りスーパー北斗では決まって森→長万部間で寝ちゃうんですよ……。
列車は車体を左右に揺らしながら、一路札幌へ。
もう後は帰るだけという状況で、自分含めメンバーは気が緩み、ボーっとするか、ウトウトするか。これが飛行機だと、空港到着後に手荷物受け取り、移動、乗り換えて札幌へ、という流れになるのでまだやることが結構あるところ、スーパー北斗なら札幌市街までひとっとびなので気もラクです。車じゃないので運転もいらないし。
洞爺までは順調に走っていた列車でしたが、洞爺で10分近く停車。対向の特急が遅れていたので、短いものの単線区間があるスーパー北斗は、こういう時に遅れが他の列車に波及してしまいます。
その後はまた順調に走っていましたが、南千歳付近で徐行。快速エアポートの運行を確保する必要があるので、どうあがいても遅れが1サイクル分、つまり15分程度に増大します。
その後快速エアポートの後ろを付けるように走り、下車駅の新札幌が近づきます。長時間座っての移動で動きたくなくなっている体を起こして、下車準備。
結局約13分の遅れで、新札幌に到着。あとはちょこちょこと市内移動して、目的地の札幌市某所に到着、解散。
この日は移動でほぼ一日が潰れたので、体がぜんぜん動いてなくて、夕食がなかなか腹に入らなかったのはまた別の話です。
というか新幹線下車後の話に何文字使ってんだボクは……。
他メンバーの感想
新幹線乗車を終えて、今回移動した他のメンバーに、その感想を訊いてみました。
「長時間の移動とはいえ、ずっと座っていられるのは楽だった。乗り換えは面倒だが、悪くはなかった」(50代、女性)
「かつて寝台特急『北斗星』で青函トンネルを通った際は、音がうるさくて寝られなかった。今回はずいぶん静かで、快適に過ごせた」(70代、女性)
「楽しかった(小学生並みの感想)」(10代、女性)
なかなか面白い感想が得られました。
所要時間が長くても、座っていられるメリットというのが、今回ピックアップできました。
自分の場合は1~2時間ごとに立って動けた方がラクなんですが、それは特殊な感覚だと、自分でもわかっています。空港では荷物預け・保安検査と、立って列に並ぶ用事が複数あるうえ、空港アクセスも発生しますが、新幹線や特急なら座っていれば着きますからね。
また、青函トンネル開業直後の、時代遅れの客車ばかりが走っていた時代からは、青函区間の快適性は大きく上がったのだなあ、と。新幹線と北斗星・トワイライトエクスプレスを天秤にかける人たちは、自分たちの持つモノサシがそうとういびつだと認識すべき、と再確認できました。
座って目的の街まで直通できる点と、静粛性。この2点は、鉄道が持つ大きな武器であり、所要時間だけが全てではないのだな、と。
なので、北海道新幹線も、「所要時間次第では」まずまず需要を拾える可能性がある、という結論になりました。今はあくまで定性的な話をしただけなので、具体的にどれだけ需要があるかを定量的に計らないと意味がありませんがね。
3つ目の感想については……、こいつもう中学生なのに大丈夫なんだろか。
ボクが新幹線乗車を拒んでいた理由
そもそも、なんでボクは「北海道新幹線になんか乗らない」と宣言したのか。その理由もお話ししようと思います。
理由はわりと単純。「成田闘争」です。
ボクは、空港建設に強硬に反対し、テロまがいの暴動を扇動したくせに、空港ができるや嬉々としてパスポートを取得した人たちのことを知っています。あの人々のようにはなりたくなかったから、「北海道新幹線に反対」だから「北海道新幹線に乗らない」という風に、主義主張を一貫させようと思ったんです。
これほどまでに断固として反対しているのに、開業したら喜んで乗車。そんな姿をさらしたくは、なかったんです。
ただ、今思うとこれはちょっとずれてるんですよね。
「成田闘争に参加していたのに嬉々として成田から渡航した人」が、成田闘争に参加した動機は、イデオロギーでした。当時の左翼運動の雰囲気で、空港に反対していたわけですね。
でも、ボクが北海道新幹線に反対している理由は、(当該記事執筆当時はともかく、平成28年の全面改稿以降は)「東京~札幌間の所要時間が5時間くらいと予想されるから」ただ一点です。乗客数に期待できないから、莫大な建設費に見合う便益はなく、建設しない方がいい、というものです。
建設費に見合うメリットがないから反対。ということは、もう開業してしまった新幹線を、その理屈で否定することはできないんです。
すでに投下した建設費は「サンクコスト」ですから、もう計算には入りません。仮に新幹線の便益が限られたものでも、ランニングコストにさえ見合わないということは、よほどの理由がない限りは起こりえないでしょう。新幹線はスピードがありますからね。
(「よほどの理由」の例:博多~長崎間の短い距離で乗り換えを要求される)
建設途中の新幹線に反対することは、論理がしっかりしていれば悪いことではないはずです。でも、すでに開業している新幹線に、「建設に反対していたから」という理由で抵抗する理由は、ほんらいボクにはないってことです。
今後の北海道新幹線との付き合い方について
ここまでの話をまとめると、ボクは「北海道新幹線に乗らない」という公約を反故にしたうえ、そもそもその公約を掲げる合理的な理由がなかった……のです。
というわけなので、大変申し訳ないのですが、公約については取り消しとさせていただきたく、何卒ご了承のほどお願い申し上げます。
今後は、むしろ新幹線を有効に活用し、少しでもJR北海道の鉄道収入アップに貢献しつつ自分も効用を得ることを考えます。
さすがに東京に行くのに新幹線を使うことは、乗ること自体が目的となる場合(グランクラス体験とか)でない限りはしないと思いますが、東北へは積極的に新幹線を使いたいと思います。
というか、もう使ってます。9月15日現在、上記の「初乗車」以外に3回乗ってます。
- 令和元年5月1日 はやぶさ16号 新函館北斗→八戸
- 令和元年5月2日 はやぶさ7号 木古内→新函館北斗 グリーン車
- 令和元年8月13日 はやぶさ11号 仙台→新函館北斗
また、新幹線の札幌延伸にも引き続き反対していきますが、もし建設をストップさせることがかなわず、新幹線が札幌まで延伸された場合は、手のひらを返したようにバンバン使わせていただくつもりです(苦笑)。
改めまして、立てる必要のない公約を立てたうえ、それを自らへし折るという愚行を犯してしまったこと、深くお詫び申し上げます。
今後は理性的・科学的な立論をこれまで以上に徹底するとともに、新幹線の活用についても前向きに考えていく所存です。
また、今回の経験を新幹線の再評価に活かし、より高いレベルで新幹線の効果を吟味するよう努めます。
長文・乱文失礼いたしました。それでは、お開きです。
……いえ、まだ話すべきことがあります。
「新幹線の札幌延伸には変わらず反対」と申し上げました。しかし、その持論の土台そのものが、揺らぎつつあります。
「反対だけど開業後は乗る」と態度を変更したばかりですが、それどころか「反対」という点すら、少なくとも部分的には改める必要があります。
したがって、昨今の状況を踏まえた新たな意見をまとめましたので、こちらからご覧ください。