JR北海道問題に関して考えたことメモ(平成29年12月9日)
本コーナーでは現在、JR北海道の「持続可能な交通体系」づくり問題に関連して、私見をまとめた記事を制作予定です。
しかし、旅行記などを優先して作っている現状、意見記事を執筆する余裕がありません。
そこでこのページでは、現時点でのボクの考えや意見をまとめたメモ書きをとりあえず掲載します。詳しい内容に立ち入ることはできませんが、皆さんに問題提起をさせていただくことで、皆さんから広くご意見を募集しようと思います。
メモ書きとして作っているので、内容は簡潔かつ抽象的で、文体も常体となっています。読みづらいかもしれませんがご容赦ください。
以下の内容について、何かご意見などがある方は、どのようなものでも構いませんので当サイトメールフォームよりお寄せください。ただし返信は期待しないでください。(もちろん、質問などの返信が必要なメールについては善処いたします。)
大前提 ~鉄道とは何か~
鉄道の特性
鉄道は大量・高速輸送機関である。
∵1列車あたり百・千単位の人員を輸送できるうえ、フリークエンシーを高めることができるため、他の交通機関では実現できないような大量輸送が可能。また道路交通には成しえないスピードを兼ね備えることも可能。
→大都市圏の通勤近郊輸送、および主要都市間輸送に向く。
大量・高速・高頻度運転が可能な区間では価値が飛躍的に上がるが、大量輸送機関としての器を持て余すようなローカル輸送には極端に弱い。
→零細輸送にコストを割くくらいなら、いっそそれらを切り捨て、強い路線・区間・列車にヒト・モノ・カネを集中すべき。事実、JR北海道は単独維持可能路線の車両更新・多客臨設定に積極的だがその他(ニッチ趣味臨時列車など)は慎重。
※鉄道の役割とは何かを考えたとき、鉄道衰退論は理由がないと分かる。大量輸送という鉄道の役目は微塵も失われていないからである。鉄道は過去の遺産でも、スピード化していく現代社会に対するアンチテーゼでもない。鉄道とは現代を生きる優秀な交通機関である。ただし道東道北オホーツクに関しては「鉄道衰退」と断言できる。
鉄道はインフラである
鉄道は「インフラ」の一種であり、すなわち社会形成のための手段、道具である。
→存廃議論において重要なのは要るか要らないか。黒字赤字は問題ではない。
→数字を用いての存廃議論なら、営業係数ではなく輸送密度を持ち出すべき。
※鉄道はインフラであり必ずしも利潤目的の事業ではないため、存廃問題の鉄道会社への丸投げは許されない。ただし、だからといって行政が強権的に進めるのも問題含み。
鉄道とはあくまで手段である。鉄道の存続が「目的」となってはならない。
→「どんな社会をつくりたいか」「どんな地域をつくりたいか」から立論し、そのために鉄道が必要か不要か、必要ならどのような形で鉄道を使うのか、じっくりと考える必要がある。
鉄道の限界領域
東京・京阪神だけでなく各地で近郊・都市間列車が活躍している。彼らに目をつぶり山手線とローカル線の二項対立で議論を進めることは鉄道への冒涜である。
在来線は首都圏京阪神の通勤輸送とD&S列車以外使命を終えたなどと極論する者が多いように思う。しかし輸送密度数万クラスの地方大都市近郊輸送や、ソニックなど競争力があり大量高速輸送を担う特急は本当に不要だろうか。
鉄道の限界領域はどこか、具体的な輸送密度も参照しつつ見極める必要。(都市内・近郊・広域での場合分け必須)
JR北海道の果たすべき役割とは?
札幌エリアの近郊輸送
絶対に必要。
∵通勤等時間短縮、労働集約性低い、渋滞緩和、環境負荷軽減
※たしかに山手線に比べれば輸送密度は20分の1以下だが、札幌圏のような地方大都市圏(人口100万程度~)の近郊輸送でも鉄道はその強みを発揮して活躍しているし、都市形成に不可欠な機関として定着している。
新千歳空港輸送
絶対に必要。
∵同上
発着枠増強に対応し輸送力増強が必須。
∵今後さらに利用が伸び続け、将来は1.3~1.5倍になりうる。利用が増えれば大量輸送機関たる鉄道のシェアも上がる(単に絶対数だけでなく)。
∵北海道の顔が超満員というのはイメージ的にマズイ。
主要都市間輸送(現在、特急が走っている区間)
函館方面・旭川方面は死守。釧路・網走・稚内方面も、可能な限り残したい。
∵大量高速輸送機関たる鉄道の本来の役割。
∵そこそこ高速+運転しなくてよい という時間・体力的利点があり、公共的なツールとして重要な位置を占める。
∵冬期の高速・安定輸送。
∵観光輸送(後述)に必要。
地方都市の通学輸送?
函館近郊は、新幹線連絡の役割を兼ねるため必要。
旭川・帯広・北見の近郊は、特急・貨物の脇役としてであれば維持可能。
∵3両編成以上が走る需要があり、労働集約性の点で鉄道に利点。ただしバスでも十分対応できる程度の輸送密度しかなく、通学のためだけに線路を残すようなレベルではない。
※富良野線の場合は観光輸送の脇役として維持することが考えられる。
※逆に都市間列車・貨物が維持できない場合は維持は難しい。特に石北本線・宗谷本線。
ローカル輸送の維持?
鉄道の役割は大量輸送・都市間輸送であり、大量輸送を担えず都市間交通としても機能していない普通列車は維持に値しない。
ex. 函館本線 森~蘭越、室蘭本線 長万部~豊浦、宗谷本線 名寄~稚内
→輸送密度極小+都市間連絡機能皆無の路線は廃止相当。
※ごく細い地域内交通の需要を捉えて「交通権」を云々することは完全なる詭弁である。
∵地域内交通として鉄道が適合する領域は小さい。多くの場合、輸送力が過大でなく、かつ小回りが利く、バス・乗合タクシーなどがより相応しい。
∵そもそも「交通権」とはシビルミニマムとしての交通の権利と解釈するべきだ。シビル「ミニマム」の話なのに、大量輸送機関である鉄道を想定すること自体が荒唐無稽である。
大切なのは「一つでも多くの路線」ではなく「必要な路線」
コスト削減により得た資金をローカル線救済に使えとの論調があるが、冗談ではない。
∵鉄道とはインフラすなわち道具であり、道具とはその得手不得手に応じて使い分けるべきである。つまり、鉄道には大量・高速輸送という特性に応じた役割を与えるべき。
∵資金があるなら、大量・高速輸送という鉄道の特性を活かせる路線を維持・強化するための投資を行うべき。現在乗客が多くても、それにあぐらをかいては、その先に待っているのは衰退のみである。
∵当座の資金があるからといって、鉄道が苦手とする零細輸送を残し、そのために将来のコストが嵩んでは、札幌エリアまでも共倒れになるという本末転倒な事態が待っている。そんなことは絶対に許されない。
※そもそも上記論調は「鉄道存続ありき」としか考えられない。結論を固定して行う話し合いは「議論」とは呼ばない。
※鉄道が「大量輸送機関」という特性を持つ以上、現代日本における鉄道路線存廃問題の発生は必然である。どんな路線でも残さなければならないと語る者からは、現代の諸問題を直視してその解決を図ろうとする態度が感じられない。そのような輩に鉄道を語る資格などない。
路線再編と新幹線は別問題
ローカル線が新幹線の犠牲になったとの意見があるが、頓珍漢である。
∵輸送密度数十~百数十の零細路線は鉄道としての役割を終えており、どのみち柱に吊るされる運命にある。新幹線とは無関係。
※そもそも鉄道は大量輸送機関・都市間交通機関であり、輸送密度極小かつ都市間輸送機能皆無のローカル線と、都市間輸送を担っておりそこそこの利用客がある新幹線では、後者が優先されるのは当然。
※新幹線を礼賛しておきながら上記理由により新幹線に文句を付ける北海道新聞は、不合理であるだけでなく論理が矛盾しており、二重に理を弁えないものである。
新幹線によりローカル線を救えとの論調がある。しかし新幹線がよしんば札幌まで延伸されても、維持困難路線の利用増には繋がらない。
∵東京~札幌だけで5時間。そもそも東京~札幌間乗り通しの需要すら怪しい中、さらに乗り継いで遠くに行こうとする奇特な人がどれほどいるものか。旭川までならまだしも、その先の維持困難路線への直通などほぼ想定できない。
※そもそも新幹線とは国土開発のための手段であって、ローカル線を助けるためのものではない。論点をすり替え建設の無意味さを誤魔化す破廉恥ぶりには閉口する。
→かような連中は新幹線建設そのものを目的としているきらいがある。新幹線とはあくまでインフラすなわち道具である。手段と目的を逆転させてはならない。
※FGTを使っても所要時間が長いことは変わらない。
※追記(令和元.9.21)……
新幹線高速化の構想が具体化しつつあり、東京~札幌間4時間半切りが現実味を帯びてきたことを受け、以下の通り意見を追加する。
「新幹線によりローカル線を救う」という論調が、「新幹線によりJR北海道の収支を改善し、それを一定程度の路線網維持に充てさせる」ということを意味しているなら、話は別。
維持困難路線に数えられている路線でも、特急が走っている区間や通学に重宝されている路線もある。そうした路線を維持するならば行政の支援が不可欠となる。
国・地方自治体の予算が財源となる整備新幹線の建設が、結果的にそれら路線に対する補助となるなら、ローカル線に対する直接補助ではないにせよ、それはそれで一つのスキームと見なしうる。
ただし留保条件として、新幹線の高速化を必ず実現させて新函館~札幌間の黒字を担保することと、極端に利用が少ない路線については新幹線によるJRの収益増にかかわらず廃線を容認することを求める。
観光と鉄道
観光の時代
観光は単なる道楽と捉えられがちだが、近年の世界的な観光発展により成長産業として期待される。
観光には学びの作用があるため、世界の問題の解決に繋がるポテンシャルがある。
極東の小国たる日本には製造業中心の発展などもはや望むべくもないが、辺境性を活かした観光立国は可能。
以上より、日本においては観光を持続可能かつ主幹産業たらしめるためあらゆる努力・工夫が欠かせない。
観光流動 ~移動手段としての交通機関と「D&S列車」~
観光に伴う移動は、大雑把に以下の二つに大別できる(両方を兼ねる場合も多い)。
- 観光地に向かう「手段」としての移動……観光をしに行くという目的を果たすために、副次的に交通需要が発生する。基本的に通常の流動と同様に、効率性が重視される。
- それ自体が「目的」となる移動……移動自体が観光であり、「どこからどこに移動したか」よりも「移動の過程でどんな楽しみがあったか」が重視される。
近年は後者の意味合いの強い「D&S列車」やクルーズトレインが多数登場したことで、「鉄道は移動手段ではなく、乗ること自体を楽しむもので、もはや交通インフラとしては役目を終えている」などとうそぶく者もある。
しかし鉄道は前者の流動もキャッチ可能である。木を見て森を見ぬ短絡的な意見は「論」と呼ぶに値しない単なる侮辱・名誉毀損でしかない。
今後、日本の旅客鉄道は観光のための「手段」としての輸送も重視すべきだ。
∵観光が発展すれば経済も回るが、そのために車が増えては排ガス増加によりせっかくの利益がパーどころか破滅にまっしぐらである。公共交通が観光流動の受け皿になり持続可能な観光を支えるべきだ。
∵積雪地帯では不慣れなドライバーの事故および輸送不安定性が問題となるが、鉄道にはこれらの憂いなし。
∵車の運転に比べて時間・体力を温存できるので、観光の質・量の向上に期待できる。
∵中国人旅行者はただでさえ数が多いうえ、中国がジュネーブ条約に加盟していない関係上、現時点では日本で車を運転できない。押し寄せる中国人旅行者には公共交通であり大量輸送機関である鉄道をぶつけよ。
∵そもそも観光に便利な交通が整備されていないと客は来ない。
手段でもあり目的でもある列車、という列車もありうる。というか実際に存在する。両者を完全に区別する必要はない。
ex. ゆふいんの森
観光と交通の問題において重要なのは、「鉄道に客を乗せる方法」ではなく、「観光を発展させる方法」である。具体的な議論の前に、まず鉄道は「道具」であると認識すべし。
広域観光という概念
1都市にとどまらず、複数地域にまたがる大型旅行をする観光客が外国人中心に増加。(とくに北海道!)
→地域内交通のみならず、広域交通も観光発展のための役割を担うこととなる。
→JR特急をはじめとする都市間列車は、観光輸送のためのインフラとしてその重要性を増している。
北海道の観光交通
従来、地方空港の機能強化および高速道路延伸に伴い、JRの観光輸送の意義は観光列車のぞき低下と考えられがちだった。
しかし、近年の外国人旅行者の増加に伴い、千歳中心の広域観光輸送が改めて重要となっている。
また、先述の通り広域観光の需要が増えている。
以上の状況下で、大量輸送・高速輸送を得手とし、冬期安定性に優れる鉄道の価値は再び上がっている。
以上、現時点でボクが考えていることメモでした。
「ここの部分の意味がわからない」「ここはむしろこう考えるべきでは?」など、細かい部分でも構いませんのでご意見お待ちしています。
考えをきちんとまとめた、ちゃんとした記事も、追々制作予定ですのでお待ちください。