「ゲニウス(北)の北海鉄旅いいじゃないか」

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道東横断~グルメ時代を旅する~(平成27年8月23~27日)

4日目(平成27.8.26) 6/6ページ「えりも岬②」

「帰る」場所

「おかえりなさい」

宿に入ると、まずこう挨拶されました。その一言は、くすぐったくも温かく、強烈に印象深いものでした。


――午後6時15分ころに岬をあとにしたボクは、バスで来た道を15分ばかり歩いていました。

すでに暗い道路を、早く建物に入りたい一心で足早に歩いていました。人の気配がほとんどなく、遠くの波音も少々怖い。だんだん標高も下がってきて、電柱に貼ってある海抜の表示がその恐怖を増幅させます。

えりも岬の集落を歩き、6時半ころに今宵の宿・民宿 仙庭さんに到着。えりも岬で、この旅最後の夜を明かします。

暗さ、寂しさ、恐怖。それから解放された瞬間、かけられた温かい一言。その瞬間、この宿がどういう所かがハッキリ手に取るようにわかりました。

案内されるがままに、寝室に荷物を置いて、食堂へ。食堂には、すでに到着していた宿泊者が、すでに食事を始めていました。結構な人数がおり、当初の印象とは大きく異なっていました。

メニューは、ジンギスカンに、魚の刺身など、なかなかに豪勢。ただあんまりジンギスカンってやんないもので、ぼかぁやり方忘れてやがんの……。所詮は札幌。北海道であって北海道でない。

ともかく、にぎやかな中で食事をとりました。一人旅中にこんなワイワイと食事することもないので、すっごく新鮮。食事と一対一で対峙するといういつものスタイルではないので、逆に味はあまり覚えてなかったり。かなりおいしかったのは間違いないですが。


場所柄なのか、宿泊者やスタッフ(?)は個性派ぞろい。あん時のオッサン、もしこのサイト見てたら言っときます。ボク見て「(個性が)強い」っておっしゃってましたが、アンタの方がよっぽど強いっすよ……。

バイクや自転車で旅する方が多く、きっとボクがバスの中で見た人もいるのでしょう(顔はバスからじゃ見えんかったけど)。彼らとは、互いの旅行のお話をしたりしました。

様々な会話の中で、何かが動いていました。内から、外から、ボクを動かす力が様々な方向に働いていました。

ある宿泊者の方はボクを含めた若い旅行者たちにこう言いました。「旅行をして自分を変えることができないなら、その旅行に意味なんてないと思う」。

その通りです。でも、それはすぐ起こせるものではない。2月の旅行も、様々なことを学んで、笑って、(主に自分に)怒って、泣いて、大きなものを得たように思います。でも、具体的に何が変わったかは、まだ口にできない。

今、自分は変わりつつある。いや、いつだってそうだった。でも、今日明日では、大きな変化はたぶんない。でも、変わっていっている。

この宿でのいろいろな人との出会いは、まさに「一期一会」。この日たまたま同じ宿に泊まった人たちが、そしてもう二度と会わないかもしれない人たちが、互いにさまざまな影響を与えていました。

それは、それぞれにとって、とても小さな変化なのだと思います。でも、いつかそれが大きな力になる。そう確信できる、そんなひとときでした。

……まあ、ぶっちゃけこの時は「めんどいなあ」とか思ってたわけですが。でも、良かったんだと思います。また同じような宿に泊まったら、きっとめんどいと思うのでしょうが。


気が付くと、だいぶ時間が過ぎていました。とにもかくにも夜更かしがきかず、疲れもたまっているボクは、すぐに寝床へ。

腹は痛くありませんが、明らかにこの日は食べ過ぎなので、太田胃酸大先生を服用。2月の時も、ちょうど同じ4日目の夜に服用してました。偶然なのでしょうか。だとしてもどうでもいい偶然だなあ……。

さて、就寝です。ドミトリーでの宿泊。蚊が飛び回っている部屋で、虫よけのバンド(ダイソーで旅行前に購入)を装着してから寝ます。とにかくハードなこの旅行、身も心も疲れ切った状態で、4日間の、特にこの宿での出来事を反芻しつつ、床につきました。

残るは、あと1日。前回の東北旅行のときは、最終日を迎えるのが辛く、寝たくないとまで思ったものですが、今回は疲れてるもので、ハッキリと「帰りたい」という気持ちさえ湧いていました。つーか、もう札幌エリアに分類しようと思えばできる場所にいるから、あんまし東北のときのような感情はなかったです。まあ何はともあれ、体を休めるとしましょう。

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