「ゲニウス(北)の北海鉄旅いいじゃないか」

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道東横断~グルメ時代を旅する~(平成27年8月23~27日)

2日目(平成27.8.24) 7/7ページ「憤慨」

重ねてご注意

このページは読み飛ばしていただいて結構です。

宿での一幕

ここで、2日目の宿で起こったトラブルについて述べます。

はじめに行っておきますが、ボクに非はありません。そのため、まるでトラブルに関わった人間を晒しあげるような感じになりますが、あくまでそれは目的ではありません。今回の一件が皆さんが「旅とは何か、旅を楽しむとはどういうことか」を考える一助になると考えたため、掲載するのです。

また、もしかしたらボクが記憶を抑圧するなどして事実の一部を包み隠して記述しているかもしれませんが、虚偽の記述は何一つありません。

では、以下にトラブルの内容を述べていきます。重ねて注意しますが読みたくなければ飛ばして結構です。

ボクは、夕食を食べ終わって宿に戻り、洗濯(宿で有料で洗濯機を貸してました)なんぞしながらのんびりとしていました。

宿には同宿の方が一人いて、食事(即席麺)の準備をしていました。

その人は、「この後深夜バスで札幌方面に向かい、翌朝の飛行機で北海道を去る」というようなことを言っておりました。

この時点で、ボクは気づくべきだったのです。宿を夜に出て、深夜バスで移動するという行程自体がおかしい。この人は、普通ではない、と。

洗濯が終わるのを待っていると、その人に一本の電話がかかってきました。

とんでもない内容でした。なんと、「もうバス発車するよ」という内容でした。そう、その人はバスの発車時刻を勘違いしていたのです。

当然その時点でバスのりばに向かったところで、間に合いません。バスは過失で乗り遅れた人をたった一人待つほど暇ではありません。

次の瞬間、ボクは動いていました。部屋に戻って時刻表を取り出し、深夜バス以外で札幌に向かうにはどうしたらいいか考え始めたのです。

これは、ボクとしてはあまりにも当然の行動でした。常日頃から、「鉄道ファンたるもの、その鉄道知識を世のため人のために役立てるべし」との信念を持っています。この日も、二度も知識を生かしていました。一回は、釧路から摩周に向かう道中、無人駅で後部ドア(ワンマンで無人駅なら開かない)から降りようとする客を前側のドアに誘導しました。もうひとつは、座席が転換クロスシートだった川湯温泉始発の列車で、グループ客が座席を転換させようとしていたところで、ボクはその方法を教えました。

しかも、ボクらが泊まっていたのは、ゲストハウス。宿泊者どうしの交流の場です。人とのかかわりを面倒に思うボクでさえ、ゲストハウスにいれば宿泊者との会話を楽しんだりします。それが旅をより良くするという信念を持っているから。というか一期一会だとやりやすい。

この時も、その人が札幌にたどり着くにはどうしたらいいかを一心に考えました。釧路泊しか手段がないと見るや、宿の検索もしました。

しかし、ボクはこの時点ですでに過ちをおかしていました。

その人は電話で何と言っていたか。自分の非を認めようとせず、ただ悪態だけをついていたのです。電話後、ボクに対しても、「なんか予約の時に時間聞いて10時台発だって聞こえたような気がしたからそれで行動してたけど、8時台って言われたって」と。そもそもきちんと時間を調べていれば、そのようなミスは起こり得ません。確かに10時台にもう一本、休前日・休日に運行するバスはありますが、この日は月曜日なので運行なし。それも、きちんと調べていればわかることです。完全に、彼の過失です。にもかかわらず、彼はそれを認めませんでした。

そのような者を救うのか。ボクは、そんな問いすら立てず、ただ良かれと思って行動を起こしていたのです。それが大きな間違いだとも知らずに。あ、ちなみにこのあたりで洗濯も終わってます。

ボクはその時、確かに時刻表を手に持っていました。しかし、彼はJR北海道の電話窓口に電話をかけました。旅のプロであり、臨機応変な旅程組みができるボクを無視し、電話をかけました。

まあ当然です。普通はそうでしょう。しかし、ボクに一言相談くらいしてもよかったでしょうに……。

その後も、料金が高くなってしまったとぼやき気味に言っていました。だったら、ボクに相談すれば、白糠まで普通列車で行くとか、釧路からバスとか、そういう提案もできたのに。

不憫に思ったボクは、このうち白糠乗り換えプランの提案を行いました。その他にも少々の助言。ボクにとっては、至極当たり前。そもそも、人として困っている人を助けるのは当然。

しかしその直後、それらの行動が無意味であったと、ボクはようやく気づくことになりました。

結局、その人間はボクの提案や助言を語気を荒らげて突っぱねたのです。頭にきたボクはそのまま部屋にこもりました。

ボクは、とんでもない思い違いをしていました。こういうタイプの宿に泊まる以上は、みなある程度は会話などを楽しめるのだと。しかし、そこにいたのは、真逆の人間でした。感謝や、自分の非を認めることを知らず、人の良心を、そしておそらくは旅の意味すらも否定する輩が、そこにはいました。

その者は、こうも話していました。この後釧路で夜を明かすことになるが、駅に宿泊する、と。厚床駅で野宿する者を見たことがあるから、別にいいだろう、と。列車待ちなんだから、夜行を待つのと同様に寝て待ってもいいだろう、と。

まさに、傍若無人の極み。釧路駅は有人駅です。夜間は施錠するでしょう。釧路駅の管理権限は、その駅の管理者、ひいてはJR北海道にあります。管理者が首を横に振れば、夜間滞在は不可能ですし、おそらくそうなるでしょう。しかしその者は、確かに駅は列車を待つところですが、それで押し切ってただで泊まろうというのです。

この時点で釧路駅付近のビジネスホテルあたりにアポイントメントをとれば、空き部屋があれば泊めてくれるかもしれませんでした。それにもかかわらず、宿がないの一点張りで駅寝を強行すると、彼は言いました。

部屋の中で、どうしてそのような者に助言をしようと思ったのか、と自分の行いを悔いました。ボクは、鉄道ファンの美学こそ持ち合わせていましたが、人を見捨てることの大事さをわきまえていない若輩者に過ぎませんでした。

そのような者が、旅を楽しめるでしょうか。旅をして得るものがあるでしょうか。

そもそも、旅ってなんでしょうか。ただ移動して、著名な観光地をかじるだけでしょうか。いえ、違います。現地の風土・文化・歴史などを知ったりして知見を増やす、人との関係の中で成長するなど、自分をどのような方向であれ高める方法です。極端に言えば自宅でも旅ができます(でも知らないとこ行ったほうが手っ取り早いと思いますけど)。彼がとったあの態度は、旅の本質をわきまえないがゆえのものです。自分を高めることを知らない者は、どこに行っても、どんな経験をしても、インプルーブメントを起こすことはできません。果たしてその旅は、「意味のない移動」になります。

皆さんは、仮にミスがあっても非を認めるだけの心構えを持って旅に臨み、その移動や現地での観光、さらには一期一会を楽しみ、それを人生の糧にできるでしょうか。ボクだって、時にはミスします(特に油断しきっている札幌駅での乗換が一番危ない)。馴れ合いやくどくどした人付き合いも嫌いです。でも、旅を楽しむためにできることは、常に行っているつもりです。そしてそれが、どこかで自分を改良していくのです。

果たして、ボクはこの時こそ気分を害し一時的発狂の状態にすら甘んじましたが、翌日は根釧の美しい景色や一級のグルメを味わい、楽しい旅を満喫しました。そしてその中で、内面的な成長をも果たしました。片や彼は、おそらくあの様子だと移動を楽しむことを知らないがゆえに苦痛の数時間を過ごしたばかりか、釧路駅で締め出されて後味の悪い思いをしたでしょう。そして、何のブレイクスルーもないまま、むしろストレスを増した状態で暮らすことになるでしょう。

ボクは今回の件を受け、自分が持っている旅人としての矜持が、そして旅のこだわりを持ち続けることが、決して間違っていないことを再確認するに至りました。

さらに先述の通り、たとえ同じ旅行者であっても、時には人を見捨てる必要があるということを認識しました。

そして、この経験から、ボクは駅寝否定派となりました。以前は中立の立場でしたが、今回の件で駅寝とは不逞の輩の所業なり、と確信するに至りました。

今回の一件は、いろいろな意味で「収穫のある」出来事でした。ある意味、これも一期一会なのでしょうか。まあ、この場でお礼くらいいっておきましょうかね、どうもありがとうございました。もちろん、嫌味で言ってます。

……ってなワケで、もやもやしつつも就寝。寝る気が起こらないほどに怒っていたのですが、結局睡魔に負けたというのが実情ですが。

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