「ゲニウス(北)の北海鉄旅いいじゃないか」

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道東横断~グルメ時代を旅する~(平成27年8月23~27日)

1日目(平成27.8.23) 3/4ページ「来たぞ、道東」

十勝平野を走る

新得に到着。いよいよ十勝地方に足を踏み入れます。

新得では10分以上の停車時間があるので、この時間を使ってお昼を調達。

新得はそばで知られる町。新得駅の駅そばもこれまた有名です。ということで、駅そばでかけそばをいただくことにしました。

冷たいのを注文しようとしたのですが、温かいのしか出せないと言われ、やむなく温そばを注文。列車が非冷房で、それなりに気温があるから温そばはあんまし欲しくないうえに、そもそもボク、実は温そばがダメなんです。……なんですが、この駅そばは温そばにもかかわらず箸が止まりませんでした。それくらい、味がよいそばでした。駅そばとはいえ、さすがはそばどころといったところ。

時刻は午後1時をまわり、列車は十勝の大地を帯広方面に向けて走ります。

十勝と言えば、大平原。しかし、車窓は防風林に囲まれ、広々とした眺望を楽しめない区間が多いです。

加えて、平野川信号場・上芽室信号場と、特急との行き違いのための停車が続きます。これが駅での交換待ちならホームに降りることもできるところ、信号場なので車内にいるより他になく、景色が晴れないこともあって早くもダルさを感じていました。

芽室駅が近づくと、車窓風景は一気に垢抜けていきます。芽室・大成とまとまった数の乗車があり、車内のムードも一変。帯広がしっかりとした都市圏を持っているというところを垣間見た一幕でした。

西帯広を出ると、帯広運転所。ここでは乗務員交替のための30秒停車がありましたが、その旨の案内が西帯広発車直後の自動放送で流れました。結構丁寧に説明し、「お急ぎのところ……」とお詫びも丁寧だったのが印象的でした。

柏林台を過ぎ、いよいよ帯広。高架から見下ろすは、帯広の街並み。高層建築がほぼないため、かなり遠くまで見渡せます。

帯広の街を見ているうちに、列車は帯広に停車。帯広で2429Dは行程の約半分。残すは3時間48分。

十勝平野を走る②

帯広では一旦改札を抜け、リフレッシュがてら2429D後半戦を乗り切るための準備などを。

まず駅併設のエスタへ。ここで買ったのが、「スイーツめぐり券」。帯広市内のあちこちのスイーツを食べ歩くのに便利なチケットで、4枚つづりで500円。1枚につきそれぞれ1店舗で1品、提携店が用意したスイーツをゲットできます。

というわけで、早速1枚目を行使。帯広では名の通った菓子店のクランベリーさんの「フィナンシェ」と交換。味は2種類からプレーンをチョイス。シンプル・イズ・ザ・ベストです。

このあと車内で食べましたが、さすがスイーツ大国・帯広で有名なだけはあるな、と感じました。例えば札幌のきのとやさんあたりとは異なり、かなり甘みがガツーンとくるのですが、それは決して一線を越えることはなく、絶妙なバランスの甘さでした。

その他、飲み物を調達するなどして、車内へ。改札を出て10分以上買い物などをしていたため、列車に戻ったころにはボックスシートは埋まっており、とりあえずロングシート部分に着席。

車内は地元の人が結構乗り込み、都会的な雰囲気。そんな中で、帯広を発車。後半戦開始です。

地元の人は札内・幕別でだいたい下車。池田を過ぎると、残るは旅行者がほとんどといった様相。ただその旅行者が結構な数乗車しており、1両目のボックスシートは埋まっていました。やむなく、乗降口から遠い2両目に着席。

豊頃を過ぎると、山が近づいてきます。浦幌に至ると、もう十勝平野は端まで来たという感じがします。

常豊信号場では貨物列車と離合。しかし、その空気輸送っぷりときたら……。編成の半分も貨物が載っていなかったように思います。

いよいよ佳境

常豊を過ぎるといよいよ山越え。ゆっくりと坂を登るキハ40形2両編成。その走りは鋭さがなく、低性能ぶりを見せつけられました。キハH220系待望論。

厚内からは太平洋を眺めますが、太平洋は大しけ。洋上の台風16号の影響で、遠く道東沿岸にまで高波が押し寄せ、うねりを伴ってそれはもう荒々しい情景でした。ガッカリした一方で、これもまた絵になる、とも思っていました。

太平洋は大荒れ、空は墨を流したような曇り空。おまけに直別・尺別と2駅連続での対向列車待ち。この辺が2429Dの全行程の中で最もキツイと感じた区間です。

思い出すのは、最初にこの区間に乗車したとき。今回同様空は曇り、しかも3月だから特に景色は茫漠。あの時も(乗った列車こそ違いましたが)このあたりで同様の辛さを感じていました。

追い討ちをかけるかのごとく、白糠でも停車。駅での長時間停車では、エコノミー症候群回避や気分のリフレッシュのため、必ずホームに出るようにしていましたが、ここではもはや外に出る気にもならず、車内で少し立って体を伸ばす程度にとどめました。

この白糠で離合した貨物列車は、先ほどよりは長い編成で、貨物もそれなりに積んでいました。

ダメ押しで東庶路信号場にも停車。そこを過ぎると、いよいよゴールが見えてきます。「あと何駅だ」と気持ちを奮い立たせ、最後の数十分を過ごしました。……なんかアレですね、勉強みたい。問題集を1冊やるとき、最初とか真ん中くらいだと辛いと感じますが、ラスト何ページになると俄然気合いが入る、あの感覚のようでした。

そして、新釧路川の橋梁上で、ついに「まもなく終点、釧路です。」との放送が。いよいよ、完全乗車達成の瞬間が近づきます。

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