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さようなら、キハ183系基本番台

今年3月のダイヤ改正で、キハ261系1000番台7次車によって函館方面の定期特急が全列車「スーパー北斗」となるため、玉突きで網走方面の特急「オホーツク」「大雪」からキハ183系基本番台(と200番台。今回は200番台もひっくるめて「基本番台」と呼びます)が近日中に撤退する予定です。また「旭山動物園号」用の編成も、3月にラストランが予定されています。

言い換えれば、キハ183系基本番台はあと1~2か月のうちに全車が運用を外れることになります。

というわけで、今回はボクがここ1年半くらいの間に撮影した、キハ183系基本番台の最後の雄姿を掲載いたします。

いずれの写真も、他のコーナーで使うために撮ったものですが、旬のうちに先行公開いたします。まあ、とどのつまり姑息なアクセス数稼ぎってわけです(苦笑)。ではご覧ください。

キハ183系基本番台 写真集

まずは昨年3月のダイヤ改正前の写真から。この頃は日中でもキハ183系基本番台が普通に走っていましたね。

最初にお見せするのは、おととし7月に撮ったサロベツの写真。サロベツは従前、両側先頭車がN・NN183系の「両貫」編成だったところ、平成28年3月の改正から約1年間、N・NN183系を北斗系統に集中投入していた関係で、先頭車が片方N183系、もう片方がスラントノーズという「スラ貫」編成となっていました。

この写真は現在制作予定の旅行記で撮ったものです。もう旅行から1年半が経ったのにまだ書けてない……。


続いては、平成29年1月に撮影したオホーツク4号の写真です。当時は「スラ貫」が基本で、中間車2両も基本番台がデフォルトでした。


同じく昨年1月のオホーツク4号。さっきと微妙に見た目が違うのがお分かりでしょうか。3号車に「キロ182-9」が連結されています。

キハ183系一族では唯一となった平屋の全室グリーン車で、レア物大好きな鉄道ファンにしてみたら追っかけ対象の車両ではありますが、実はトイレがなんと和室のまま。外国人旅行客が乗っていたとしたら、たまったものじゃないでしょうね。


続いてもオホーツク。今度は昨年2月のオホーツク5号。先頭車は、今は亡き白坊主こと「キハ183-104」。

特徴的な顔をカメラで写したくて、1年くらいずっとチャンスを窺っていたのですが、なかなか機会に恵まれませんでした。もっとも変わっていたのは顔だけで、車内は至極普通と聞いています。


ここからは昨年3月のダイヤ改正の後の写真です。改正後はキハ183系基本番台の定期運用がキロハ182形のみとなった一方で、普通車は臨時列車に充当される機会が増え、思いのほか華やかに活躍しています。

改正後1枚目は、昨年7月に撮影した、特急フラノラベンダーエクスプレス3号として走るキハ183系基本番台5両編成です。

当時のプレスリリースの通り、当初登板予定だったノースレインボーエクスプレスよりも定員が多いので、最繁忙期のラベンダー観光輸送に大きく貢献していました。実際、外から見た限りでは、窓側の座席に空席は見受けられませんでした。

趣味的にも、オール「とかち色」のモノクラス5両編成ということで、非常に貴重な編成でした。


続いて、特急フラノラベンダーエクスプレス1号に入った旭山動物園号編成です。

上の基本番台5両と同様に輸送力があるので、こちらも獅子奮迅の活躍でした。また、こちらは元々登板する予定だったので、ヘッドマークも一応用意してもらったようです。


3枚目はお盆の多客臨。特急北斗88号のキハ183系基本番台4両編成です。この写真だけは既に「北の特急(+α)図鑑」で公開しています。

スラントに「HOKUTO」のヘッドマークはメチャクチャカッコイイですね。しかも、またオール「とかち色」。てっきり函ハコのN183系が出てくるものだと思っていたので、ずいぶん驚きました。

ちなみに、撮影場所は新札幌駅の2番線ですが、この日は他にも数名の撮り鉄が来ていました。


お次は秋口の臨時特急ニセコ。下り函館行きを撮りました。4両編成のうち、両先頭車と中間車1両が基本番台でした。ヘッドマークも用意され、堂々たる姿で登場しました。

運行期間が短いわりには案外盛況で、撮影を行った余市駅では停車時間に多くの乗客が降りてきて、ホームで特産品を買ったり、町のマスコットキャラとの記念撮影を楽しんだりしていました。

余談ですが、撮影の後はレンタサイクルを借りて「旧下ヨイチ運上家」を見学し、駅前でアップルパイを買ってJRで帰りました。


季節は飛んで、今度は年末。函館方面の多客臨です。12月29~31日は北斗88号がなんとキハ183系基本番台オール「とかち色」6両編成という撮り鉄垂涎の編成で運転されました。

指定席は満席だったようで、車内は賑わっていました。

賑わっていたのは車内だけではありません。この日は撮影班(班……?)6人態勢。年明け後の1月3日のキハ183系4両編成の北斗88号(撮ったけど夏と同じような編成なので掲載しません)に至っては7人態勢でした。やっぱり引退が近づくと人も増えますね。

というか、とかち色のキハ183系が、「北斗」(漢字)じゃなくて「HOKUTO」のヘッドマーク付けて走ったなんて、あのN・NN183系トラブルの時以外に過去にあったんでしょうか。無性に懐かしさを感じる風体ではありますが、実は新しい?


年が明けまして、今年の1月16日に撮影した特急オホーツク2号です。所定の4両編成ですが、札幌方先頭車がスラントです。

昨年3月以来、オホーツク・大雪は基本的に「両貫」が基本となりましたが、従前のような「スラ貫」も時折見られました。他サイト様の情報のおかげで、スラントを先頭にしたオホーツクを狙って撮影することができました。多謝。

あと忘れがちかもしれませんが、中間車のキロハ182形も運用離脱が近づいています。その点でも貴重なシーンと言えるでしょう。


同じくオホーツク。今度は2月10日のオホーツク1号。7時すぎの撮影なのでちょっと暗いですが……。

流氷シーズンとさっぽろ雪まつりが重なったこともあり、6両編成での運行。「両貫」ではありますが、キロハ182形組み込みの6両編成というのはもう見られないかもしれないので、貴重といえます。その割には他に一人も撮影者がいませんでしたが……。スラント北斗には人が群がる割に、なんかキロハの注目度低くね?

キハ183系基本番台の鉄道史的価値とは?

さて色々写真をご覧いただいたわけですが、やっぱりスラントノーズの先頭車は理屈抜きにカッコカワイイですね。ファンが多いのもわかります。

そんな風にファンの多いキハ183系基本番台ですが、ファンの人たちが「北海道の誇り」とか「鉄道史に残る名車」とか語っているのを聞いていると、実はちょっとボク、ムズムズしちゃうんです。


ちょっとここで、キハ183系基本番台の生涯を軽く振り返ってみましょう。

キハ183系基本番台は昭和54年に試作車が登場し、特急「おおぞら」(函館~札幌~釧路)に投入されました。翌年から量産車が投入され、キハ80系を置き換える形で全道に活躍の場を広げました。

ところが昭和61年にN183系が、昭和63年にNN183系が登場すると、基本番台は徐々に主役の立場を奪われていきます。N・NN183系がどんどんそのスピードを増していく一方、基本番台は(パワーアップこそすれ)そのスピードに取り残されていったのです。

JR化後の平成6年にキハ281系が営業運転を開始し、同時に「北斗」用のNN183系がパワーアップを果たしたことで、キハ183系基本番台は函館方面の定期特急からは撤退。その後もキハ283・261系の登場により定期特急の運用を一つまた一つと減らしていき、平成19年の改正以降は特急「オホーツク」のみとなりました。

集約臨の常連として定着したり、「旭山動物園号」の車両に抜擢されたり、「北斗」のエンジントラブルのせいで設定された臨時「北斗」に駆り出されたり、1年間だけ「サロベツ」を担当したりと、持ち前の汎用性を活かしてマルチに活躍を続けましたが、一線級の活躍とは言い難く、JR世代の洗練された特急群たちの「脇役」でしかありませんでした。

そして昨年3月で、新設された「大雪」に入るようになった一方、普通車については「オホーツク」「大雪」の所定編成から外されてほぼ完全に代走・波動用となり、現在に至ります。


キハ183系は、かつて全道を駆け巡ったキハ80系を大きく上回る性能・内装で、登場当時は時代の寵児でした。しかし、それからわずか7年で特急気動車のエースの座を引きずり降ろされ、その後は性能面でも内装面でも二線級の車両に甘んじた、ちょっと悲しい車両です。

もっと言うと、キハ183系基本番台には設計面で革新的な部分が存在しません。発電エンジン搭載、直通ブレーキ不採用など、非常に保守的な思想で設計されたものであり、キハ・キロ・キロハ182形の特徴である大出力のDML30系エンジンもキハ181系で既に採用済み。技術史的には価値はありません。

国鉄の一時代をつくったのは、キハ80系。特急高速化の時代を切り開いたのは、N・NN183系や、785系・キハ281系以降のJR世代の車両。キハ183系基本番台は、国鉄がいろいろな意味で揺れ動く微妙な時期に生を受け、キハ80系からJR車へとバトンを繋いだ、いわば過渡期の存在という評価こそが、正しい評価なんじゃないかな、と思っています。

以前711系の引退に際して記事を書いたことがありまして、その当時はあまり鉄道に詳しくなかったもので自分に関する思い出だけつづってお茶を濁しましたが、今考えると711系3次車についても似たようなことが言えますね。また道外でも115系3000番台や419・715系なんかもそうですね。こうした過渡期の車両たちは、「分割民営化」「シティ電車」「函館中心から札幌中心へ」など、多くの変化を体験した末期の国鉄において、時代の流れに翻弄されながらも必死に活躍を続け、後の時代の礎となった車両たちです。しかし、JR世代の車両に比べれば、どうしても性能・アコモデーションともに劣ってしまい、微妙な存在になりがちです。

もちろん、過渡期の存在だからといって、存在意義自体が否定されることはありません。しかし、激変期を駆けた車両たちは、「花形」として長らく活躍した車両とは少し違った語られ方をした方が、かえって浮かばれるように思うんです。

だから、彼ら激動の時代を生き抜いた悲運の車両たちには、こんな風に声をかけてあげたいのです。「あの時代に、先輩方の懸命な走りがあったからこそ、今の時代がある。長らく脇役を担ってくれたからこそ、今の主役たちがいる。本当にありがとう。そして、安らかに眠ってください。」と。

現在、スラント183の保存が計画されているようですが、その発案者や賛同者の方々には、「キハ183系基本番台について熱く語ってもらってもよろしいでしょうか」とお願いしてみたいです。「スラントがカッコイイ」以外に、彼らはどんな思いをキハ183系基本番台に持っているんでしょうか。そして、その思いが、どこでどんな風に「車両を保存したい」という思いにつながっているんでしょうか。

消えゆく車両への「愛」とは?

鉄道ファンというのは、往々にして引退間近の車両や廃線を控えた路線などに群がる人が多いです。そういったタイプの鉄は、消えゆく老兵を惜しむがあまり、それをいつまでも自分の手元に置こうとします。

しかし、ボクは思うのです。登場直後から継続的に追い続けた車両を、引退直前にもいつものように迎え、最後の日もいつものように見送るというのも、また愛ではないかと。

ボロボロの車体を見て、その列車が歩んできた波乱の数十年間を思い、「早くラクにしてあげたい」「静かに最期の時を迎えさせてあげたい」「安らかに眠ってほしい」と思うのも、また愛ではないかと。

あるいは、古い・新しいを措いて、それぞれの車両・路線を客観的に見つめ、その意義、歴史的価値、現代的価値など、様々なものを見出すというのも、また愛ではないかと。


結論から言うと、ボクは今回のキハ183系基本番台の引退というイベントにあたって、これ以上の活動をするつもりはありません。ラストランも乗りませんし撮りません。別に静態保存されなくても構いません。

このページで公開した12枚の写真は、あくまでキハ183系基本番台を悼む以外の目的――多客期輸送の記録、臨時列車の記録、etc――で撮ったものです。

その代わり、キハ183系基本番台が今まで支えてくれた「道内主要都市間輸送」を、現代の北海道にとって必要な限りにおいて今後も守り育てていくために、できることは全部やろうと思います。


鉄道ファンというのは当然ながら鉄道を「愛好」するワケですが、その「愛」のカタチというのは決して一つではないし、むしろ少数派の鉄道ファンが捧げる鉄道愛こそ、もしかしたらホンモノの愛かもしれません。

別れも愛の一つ――かの「銀河鉄道999」のテーマにも唄われたフレーズを、皆さんにはちょっと噛みしめてみてほしいな。そんなことを考えながら、ここ最近は過ごしています。

ハイというわけで~、前半はアクセス数稼ぎのための写真の羅列、後半はちょっとしたお小言という謎のページでございました。

引退する車両に群がる人たちとか、その車両を残そうとする人たちとか、それぞれいろんな思いで行動をされているんだとは思いますが、それを見てるとなんか悶々とするんですよね。そんなわだかまりを一応文章にしてみたわけです。ちょっとうまく表現しきれないのがもどかしいですが、なんとな~く言いたいことがわかってくれたらな、と。ホントなんとなくでいいので……。

さておき、キハ183系基本番台引退後の北斗・オホーツク両系統には、どのような変化が待っているでしょうか。期待と、不安と、好奇心と。時刻表3月号の発売が待ち遠しいですね。

※追記(令和3.9.13)

余談ですが、令和3年(2021年)9月に「キハ183系基本番台のうち17両がタイ国鉄に譲渡される」との情報がありました。

いっときのマニア的感情で残して、ただ風雨に晒されるよりは、彼女らも浮かばれるのではないでしょうか。

廃車体は、自動車であればスクラップ業者に売ることができますが、鉄道車両だと逆にお金を払って引き取ってもらう形になります(自動車と違い汎用性のあるパーツが少ない?)。無料引き取りの業者もあるようですが、運送費は鉄道会社持ちのようです。

今回は、タイ国鉄が運送費を負担するとのことで、JR北海道としては解体コストも運送費もかけずに車両を処分できることになります。経営難の中少しでも経費を浮かせたい状況ですので、ありがたいことです。

廃車となったキハ183系基本番台は、多くが室蘭市某所に置かれ、雨ざらしとなっていましたが、「拾う神」に恵まれる形となりました。よかったね、おめでとう。

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